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March 2231997

 春の夢みてゐて瞼ぬれにけり

                           三橋鷹女

んな夢だったのだろう。夢の心理学は苦手だが、この句に近い心持ちで目覚めたことはある。現実と同じように、夢の世界も決して自由ではない。ただ、夢の中の時空間の混乱に乗じて、ひとつの感情を現実よりも深めることはできる。センチメンタリズムの深みに、身を投げてしまうこともある。そうすると、おのずから瞼は濡れてくる。もちろん、哀しいからなのだけれど、春の浅い眠りの夢には、その哀しみにどこか甘美さが伴う。明日の朝は、そんな甘美さの残る感情とともに目覚めてみたい。(清水哲男)


March 2131997

 春愁や一升びんの肩やさし

                           原子公平

とえば、今日が、かつて好きだった人の誕生日だったとする。なぜか、別れた人の記念日は忘れないものだ。遠くにある人だからこその、近さだろう。関連して、昔のあれやこれやを思い出す。そのことに、しばし没頭してしまうことがある。酒が入れば、なおさらだ。普段は格別気にも留めない一升びんを、それこそなぜかしみじみと眺め入る気分にもなる。やさしい肩だなァ……。そんなふうに感じることのできる自分自身を、実は作者は哀しくも愛している。すなわち、これが春愁の正体である。『海は恋人』所収。(清水哲男)


March 2031997

 嫁して食ふ目刺の骨を残しつつ

                           皆吉爽雨

の字は「か」と発音する。二世代(ないしは三世代)同居の家に嫁いできて、まだお客様待遇の間の新妻の膳に目刺しが出された。さあ、困った。いきなり頭からバリバリやるのははしたないし、かといって残すのも気がひける。結局は、少しずつ端から小さく噛んで、骨を残しながら食べることにした。まさに、新妻悪戦苦闘の図。「味なんてしやしない」。そして、その姿を見るともなく見ている家人(作者もそのひとりだ)の鋭い目。いまどきの若い女性なら、頓着せずに食べてしまうのかもしれないが、昔の嫁たるものはかくのごとくに大変であった。蛇足ながら、作者の皆吉爽雨は、私が中学生のときに下手な句を投稿していた「毎日中学生新聞」の選者だった。よく採っていただき、いい人だなと思っていたけれど、この句のように、けっこう意地悪な目も持ったオジサンでもあったわけだ……。現代俳人・皆吉司の祖父。(清水哲男)




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