1997ソスN3ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2731997

 手をあげて此世の友は来りけり

                           三橋敏雄

に誘われた恰好で、ひさしぶりに会おうかということになったりする。年来の友だから、待ち合わせ場所で顔をあわせても、挨拶は「やあ」と軽く手をあげる程度だ。それですむのである。しかし、以前であれば、間もなくもう一人の共通の友人が、同じように「やあ」とこの場に姿を現したものだったが、彼は既に「此世」の人ではない。五十の坂を越えたあたりから、残された者は、この類の喪失感を何度も味わうことになる。そんなとき「此世」にいない人との別れ際の挨拶を思い出してみると、多くはただ軽く手をあげただけだったような気がする。敏雄に、もう一句。「死ねばゐず北へ北へと桜咲き」。死ねば存在しない。この場合の死者は、かつての戦争の犠牲者たちだと読める。(清水哲男)


March 2631997

 あたたかきドアの出入りとなりにけり

                           久保田万太郎

日文芸文庫新刊(97年4月刊)結城昌治『俳句は下手でもかまわない』所載の句。うまいですねー。この無造作な語り口。一歩誤れば実につまらない駄句になる所を、ギリギリの所で俳句にできる作者の腕の確かさ。まさに万太郎俳句の精髄がここにある。季語は「暖か」。この句の舞台はビルでしょうね。すると、ドアは回転ドアか。くるっと回れば、もう外は春です。杉の花粉も飛んでくるけど……。(井川博年)


March 2531997

 春服や若しと人はいうけれど

                           清水基吉

るい色のスーツを着て出社すると、何人かから「お若いですねえ」と声がかかる。よくある光景だ。照れ臭いような、嬉しいような……。しかし、日常的に自分にしのびよる老いの影は、自分がいちばんよく知っている。いくら若ぶっても、取り返しがつくはずもない。だから、照れた後で、一瞬、針のような寂しさが胸をつらぬく。ところで作者によれば、この句の初出で「春服や」の上五は「行秋や」になっていたという。つまり、後に句集に入れるにあたり「晩秋」を「春」に置き換えてしまったわけだが、私は改作された明るい寂しさのほうを採りたい。『宿命』所収。(清水哲男)




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