蜿ウ蝓取坩遏ウ縺ョ句

April 0241997

 眼を先へ先へ送りて蕨採る

                           右城暮石

(わらび)で思い起こすのは「万葉集」の志貴皇子の次の歌だ。「石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」。春が来た喜びを、これほど素直にして上品に歌うことのできた人の心根がしのばれる。この歌の影響だろうか。そんなことはないはずなのに、蕨というと「和歌的な植物」と感じてしまう。対するに、ぜんまいは「俳句的植物」か。食料難に悩まされた子供の頃、蕨採りは日課であった。風流のためではなく生活のためだから、この句のようにいささか血まなこめくのであった。(清水哲男)


September 1591997

 老人の日といふ嫌な一日過ぐ

                           右城暮石

じめは「としよりの日」(昭和26年制定)といった。それが「老人の日」(昭和39年)となり「敬老の日」(昭和41年)となった。しかし「敬老の日」とは、いかにも押し付けがましい。国家が音頭をとって「尊敬」などと言い出し、ロクなことがあったためしはない。景気のよい時には地方自治体がお祝い金を出していたが、いまではつまらない式典だけになった。金の切れ目が縁の切れ目で、駆り出さなければ誰も来ない。私はまだ駆り出される年齢ではないが、作者と共に余計なおせっかいは「超」不快である。もちろん、いまや老人福祉の問題は国民的な課題だ。が、世間で行われている福祉の実態には、いつも式典的要素が介在するのは何故なのか。老人ホームでみんなでお歌を歌うなんてことも一例で、私なら、ほっといてくれと言うだろう。そんなことに「敬老精神」を発揮されたのではたまらない。しかも発揮する人々の多くが善意であるだけに、いっそうたまらないのである。このような「善意の愚劣」を、先輩諸兄姉よ、ここらで勇気を持って打ち砕くべきではないでしょうか。かつてロシアの文豪が、自逆的に言いました。「私は人類はいくらでも愛するが、隣の婆アはどうにも気にくわねえ」と。「善意の愚劣」の根拠でしょう。(清水哲男)


November 16111999

 隣席を一切無視し毛糸編む

                           右城暮石

者は、明らかに「むっ」としている。「隣席」というのだから、電車のなかだろう。たまたま坐った隣席の女性が、一心に毛糸を編んでいる。一心はよろしいが、電車が揺れるたびに、編み棒やら毛糸玉やらがこちらの領域を侵蝕してくる。気になって仕方がない。明治生れ(明治32年)の作者の気持ちを現代語に翻訳しておけば、「チョーむかつく」というところか。最近はあまり見かけないけれど、昔は電車のなかでの編み物は珍しくなかった。隣り合わせてしまったら、あれは災難としか言いようがない。しかも私は尖端恐怖症気味だったので、隣席の編み棒は辛かった。「むかつく」けど文句も言えず、辛すぎるときには立って別の車両に移ったこともある。冬の季語としての「毛糸編む」。たいていの句が微笑を伴った作りになっているのに、暮石はとても不機嫌である。この不機嫌が、読者にはどこかユーモラスにも響くところに味がある。いま思い出したが、二十年ほど前、ラジオをはじめたころのスタジオでの相棒が、毛糸を編みながら放送しはじめたのにはたまげた。しかも、生放送。聞いている人は、彼女が編み棒を操りながら喋っているとは知らなかったろうが、目の前の私としては、素朴に「ああ女は強し」と思いましたね。『右城暮石「天狼」発表全句』(1999)所収。(清水哲男)


April 1242000

 次の樹へ吹き移りゆく杉花粉

                           右城暮石

戦後の一時期は、全国的に杉の木の植樹奨励時代でした。小学生だった私たちも授業の一環として、よく山に出かけて植えさせられたものです。そんなわけで、私などは四囲を杉に囲まれて育ちました。「杉の花」(春の季語)は花としては地味ですが、花粉の飛ぶ様子には凄いものがあります。風が吹くと、さながら煙のように飛散し移動し、この句はよくその様子をとらえています。圧倒的な飛散の光景は、まさに「吹き移りゆく」というしかありません。しかし、この様子がまさか後になって、「花粉症」なるアレルギー症状を引き起こすなど想像の埒外でした。幸いにも、私は花粉症とは無縁で来ていますが、周囲には今春になって突然発症した人もいて、お気の毒です。最近の歳時記のなかには、季語として「花粉症」を独立した項目に登録している本もありますし、句も数多く作られるようになってきました(当歳時記では「杉の花」の小項目に分類)。花粉症の方は見るのもいやかと思いますが、例句を二句あげておきます。「七人の敵の一人は花粉症」(伊藤白湖)、「花婿がよもやの花粉症なりし」(大庭三千枝)。いずれも、花粉症ではない作者が戸惑っている図ですね。『新日本大歳時記・春』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


September 0792001

 五右衛門風呂の蓋はたつぷり赤のまま

                           大木あまり

城暮石に「ゴム長を穿きてふるさと赤のまま」の一句あり。犬蓼(いぬたで)の花を赤飯になぞらえて「赤のまま」と言った。どこにでも咲いているから、懐しい幼時の記憶と結びつく。あらためて見やると、なんだかほっとするような風情がある。掲句は丹沢での作。これから一番風呂をご馳走になるのだが、いわゆる内風呂ではなくて、母屋から少し離れた場所にある風呂場だろう。まだ表は明るい。風呂場を取り囲むようにして「赤のまま」が揺れており、風呂槽には湯がまんまんと湛えられている。「五右衛門風呂」だけに「蓋はたつぷり」と、浮蓋(うきぶた)の様子でたっぷりの湯を詠んだところが面白い。入る前から、懐しい幸福感に浸っている。まさしくご馳走である。「五右衛門風呂」命名の由来は、石川五右衛門釜茹(かまゆで)の刑から来ているようだ。『東海道中膝栗毛(ひざくりげ)』で、弥次喜多には入り方がわからなかったという話は有名。この風呂が、関西以西に流行っていたことを示している。私の田舎(山口県)でも、全体が鉄製の浴槽が「五右衛門風呂」の名で普及していたが、厳密に言えばこれは「長州風呂」だと、物の本に書いてあった。桶の底である釜だけが鉄製のものを「五右衛門風呂」と呼んだそうだ。『火のいろに』(1985)所収。(清水哲男)


December 24122001

 大阪に出て得心すクリスマス

                           右城暮石

日前の土曜日の夜。麹町のラジオ局での仕事が終わって、何人かと半蔵門の中華料理屋に立ち寄った。入り口には、豪華なクリスマスツリーが飾ってあった。中華料理と聖樹。そぐわないなと思っていたら、出がけに中国人の元気の良い女店員が言った。「忙しいです。クリスマスが終わったら、すぐにお正月のアレ立てないと」。ショーバイ商売というわけか。なんとなく「得心(とくしん)」した。で、帰宅してから片山由美子の『鳥のように風のように』を読んでいるうちに、紹介されている杉良介の「人を待つ人に囲まれ聖誕樹」が目にとまった。なるほどねえ。この句にも、すぐに「得心」がいった。掲句の作者の「得心」も似たような種類のものだろう。とくに昔の田舎暮らしだと、マスコミ情報としてのクリスマス騒ぎは伝わってきても、実感にはほど遠い。ところが、たまたま大都会の「大阪」に所用で出かけて行ったら、なるほど宗教など関係なしのツリーやらイルミネーションやらで、街は実にきらびやかにしてにぎやかだった。「ほほお」と作者は、一も二もなく「得心」させられたというわけだ。いささかの皮肉も込められてはいるのかもしれないが、むしろ目を真ん丸くしている作者の純な気持ちのほうがクローズアップされていると読んだ。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


May 3052003

 蜘蛛の圍に蜂大穴をあけて遁ぐ

                           右城暮石

川博年が、神田の古本屋で見つけたからと、戦後十年目に出た角川文庫版の歳時記を送ってくれた。現在の角川版に比べると、例句はむろんだが、項目建てもかなり違っている。たとえば掲句の季語「蜘蛛の圍(くものい)」も、いまでは「蜘蛛」の項目に吸収されているけれど、その歳時記には独立した項目として建てられている。それほど、まだ蜘蛛の巣がポピュラーだったわけだ。ついでに、解説を引いておこう。「蜘蛛そのものは決して愛らしい蟲ではないが、雨の玉をいつぱいちりばめて白く光つている網は美しい。風に破れた網は哀れな感じがする。つくりかけてゐる網を見てゐると迅速で巧緻なのに驚く」。掲句の句意は明瞭で、解説の必要はない。誰にでも思い当たる親しい光景だった。網を破られた蜘蛛がかわいそうだというのではなく、作者はむしろ微笑している。蜘蛛の巣はそれこそ「迅速に」何度でも再生できるので、心配する必要がないからだ。田舎での少年期には、蜘蛛の巣にはずいぶんとお世話になった。針金を円状にして竿の先に付け、こいつに蜘蛛の巣を巻き付けて蝉捕りをやった。まあ、蜘蛛の餌捕りの真似をしていたわけだ。油蝉などはたいていの蜂よりもよほど強力だから、句のような弱い網だと、簡単に遁(に)げられてしまう。だから、太くて粘着力の強い蜘蛛の巣を見つけるのが一苦労で、実際の蝉捕りより時間がかかることも多かった。やっと見つけて、慎重にくるくると巻き付ける感触には何とも言えない充実感を覚えたものだ。本当はこんなことがお釈迦様に知れるとまずいのだけれど、ま、いいか。『俳句歳時記・夏の部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)


August 0982003

 百姓の手に手に氷菓滴れり

                           右城暮石

語は「氷菓(ひょうか)」で夏だが、種類はいろいろとある。この場合はアイスクリームといったような上等のものではなく、果汁を箸ほどの棒のまわりに凍結させたアイスキャンデーだろう。いまでも似たようなバー状の氷菓はあるけれど、昔のそれとはかなり違う。昔のそれは、とにかく固かった。ミルク分が少なかったせいだろうが、出来てすぐには歯の立つ代物じゃなかったので、少し溶けるのを待ってから食べたものだ。ただし、溶けはじめると早く、うかうかしていると半分くらいを落としてしまうことにもなる。あんなものでも、食べるのにはそれなりのコツが要ったのである。大人よりも、むろん我ら子供のほうが上手かった。句の情景は、そんな氷菓を「百姓(ひゃくしょう)」たちが食べている。おそらく、自転車で売りにきたのを求めたのだろう。田の草取りなど激しい労働の間の「おやつ」として、一息いれている図だ。ただし、一息いれるといっても、彼らには寄るべき木陰などはない。見渡すかぎりの田圃か畑のあぜ道で、炎天にさらされながらの束の間の休息なのである。だから、彼らの手の氷菓はどんどんと、ぼたぼたと溶けていく。まさに「手に手に氷菓滴れり」なのであって、その滴りの早さが「百姓」という職業の過酷な部分を暗示しているかのようだ。休憩だからといって、お互いに軽口をたたきあうわけでもなく、ただ黙々と氷菓を滴らせながら口に運んでいる……。そしてまだまだ、仰げば日は天に高いのである。『俳句歳時記・夏の部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)


September 1292015

 芋虫に芋の力のみなぎりて

                           杉山久子

虫といえば丸々と太っているのが特徴だ。手元の歳時記を見ても〈芋虫の一夜の育ち恐ろしき〉(高野素十)〈   芋虫の何憚らず太りたる〉(右城暮石)、そしてあげくに〈   命かけて芋虫憎む女かな〉(高浜虚子)。なにもそこまで嫌がらずともと思うが。しかしこの句を読んであらためて、元来「芋虫」はイモの葉を食べて育つ蛾の幼虫のことだったのだと認識した。大切なイモの葉を食い荒らす害虫として見れば太っていることは忌々しいわけだが、ひとつの生き物、それも育ち盛りの子供としてみれば、まさに生きる力がみなぎっているのだ。芋の力、の一語には文字通りの力と、どこか力の抜けた明るいおもしろさがあって数少ないポジティブな芋虫句となっている。「クプラス」(2015年・第2号)所載。(今井肖子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます