April 081997
たけの子や畠隣に悪太郎
向井去来
よく知られた芭蕉七部集のなかでも、『猿蓑』(元禄4年・1691年)は蕉風俳諧の円熟期の収穫とされるが、この句は猿蓑集巻之二・夏の部に登場する。去来の句のすぐ前に凡兆の「竹の子の力を誰にたとふべき」、すぐ後に芭蕉の「たけのこや稚き時の絵のすさび」がならぶが、いずれも理屈でもたつき、去来の直接的な明解さに及ばない。ニョキとはえ出たたけの子を隣りの土地から見つめている腕白小僧。たけの子のかわいさに柄にもなく見とれているが、じつは盗もうかいたずらしようかと悪智恵をめぐらしているようだ。俳句では古くからたけの子と子どもの連関が多く詠まれているらしいが、ここでは憎まれ小僧の"悪太郎"であるのがいかにも野趣があり、両者の対比が生きている。こうした健やかで愉快な初夏の情景が、今でもどこかに残っているだろうか。(八木忠栄)
April 052001
はなちるや伽藍の枢おとし行
野沢凡兆
凡兆は、加賀金沢の人。蕉門。『猿蓑』の撰に加わった。彼の移り住んだ京には、いまも花の名所として知られる寺が多い。夕刻の光景だ。花見の客もあらかた去っていき、静かな境内では花が散り染めている。「枢(くるる)」は普通の戸の桟(さん)のことも言うが、ここでは寺だからもう少し頑丈な仕掛けのあるもの。「扉の端の上下につけた突起(とまら)をかまちの穴(とぼそ)にさし込んで開閉させるための装置」(『広辞苑』第五版)だ。旧家などの扉にも使われ、さし混むときにカタンと音がする。静寂のなかに扉を閉ざす音が響き、なお花は音もなく散りつづけて……。「はなちるや」の柔らかい表記と固い音響との対比も見事なら、僧侶の黒衣にかかる白い花びらとの対照も目に見えるようである。かくして、寺の花は俗世から隔絶され、間もなく「伽藍(がらん)」とともに柔らかな春の闇に没していくだろう。無言の僧侶はすぐに去っていき、作者もまた心地よい微風のなかを家路につくのである。寂しいような甘酸っぱいような余韻を残す句だ。「春宵一刻値千金」とも言うけれど、その兆しをはらんだ春の夕暮れのほうが、私には捨てがたい。「さくらちる」京都の黄昏時を、ほろりほろりと歩いてみたくなった。いまごろが、ちょうどその時期だろうか。(清水哲男)
July 232001
市中は物のにほひや夏の月
野沢凡兆
月の出のころを詠んでいる。一般的に「夏の月」といえば、心理的に夜涼を誘う季語である。が、まだ「市中(いちなか)」に「物のにほひ」があるというのだから、赤くほてるような感じで月がのぼってきた時刻の情景だろう。風もなく蒸し暑い「市中」に、ぎっしりと軒をつらねる店々からの雑多な「にほひ」が、入りまじって流れて来、なおさらに暑く感じられる。そのむうっと停滞した熱気が、よく伝わってくる。この句に、芭蕉は「あつしあつしと門々の声」とつけているが、私には気に入らない。臭覚的な「物のにほひ」の暑さから、逃れるようにして空を見上げるようなことは誰にでもある。つまり五感の切り替えというほとんど本性的な知恵なのだが、そこにもかえって暑さを増幅するような月しかなかったという諧謔味を、芭蕉は聴覚的に解説してみせたのだろう。でも、言うだけ野暮とはこのことで、凡兆は「あつしあつし」とストレートに表現する愚を避け、わざわざ工夫と技巧をこらして迂回したというのに、「それを言っちゃあお終いよ」ではないか。連句は、第一に気配りの文芸だ。この日の芭蕉は、よほど機嫌が悪かったのかもしれない。参考までに、機嫌がよいときの芭蕉の名句を。「蛸壺やはかなき夢を夏の月」。(清水哲男)
March 302011
初燕一筆書きで巣にもどる
岡田芳べえ
西日本で越冬する燕もいるけれど、春の彼岸頃に南からやってくる燕は、待ちに待った春の到来を強く感じさせる。「燕」「燕来る」「初燕」……いずれも春の季語であり、夏は「夏燕」、秋には「燕帰る」となる。かの佐々木小次郎の「燕返し」ではないが、勢いよく迅速に飛ぶ燕の様子は、まさしく鮮やかな「一筆書き」そのものである。掲句は、一筆書きの筆勢によってダイナミックに決まった。これから巣を整えて子づくりの準備に入るのだろう。燕は軒や梁に巣をつくるが、それは縁起のいいものとして歓迎される。山口誓子には「この家に福あり燕巣をつくる」という句がある。子どもの頃、苗代づくりを控えた時季に、広い田園地帯で遊んでいると、燕がいかにも気持ち良さそうにスーイ、スーイと高く低く飛び交っているのに出くわして、面食らったりしたものだ。同時に、気持ちが晴れ晴れと昂揚してくるのを覚えた。凡兆には「蔵並ぶ裏は燕のかよひ道」という、いかにも往時の上方の街あたりを想わせる一句がある。『毬音』2(2008)所載。(八木忠栄)
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