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May 0251997

 逢ひにゆく八十八夜の雨の坂

                           藤田湘子

春から数えて八十八日目。「八十八夜の別れ霜」などといわれ、この時期、農家にとっては大敵の時ならぬ霜が降りることがある。この日を無事に通り抜ければ、安定した天候の夏がやってくるというわけで、八十八夜は春と夏の微妙な境目なのだ。しかし、このスリリングな日を実感として受けとめられる人は、もはや少数派。死語に近いかもしれない。したがって、この句の作者が恋人に会いに行く気持ちについても、解説なしではわからない人が多いはずだ。一年中トマトやキュウリが出回る時代となっては、それも仕方のないことである。近未来の実用的な歳時記は、おそらく八十八夜の項目を削除するだろう。(清水哲男)


May 0151997

 暮れ際の紫紺の五月来りけり

                           森 澄雄

月が女性的な月だとすると、五月は男性的なそれである。満開のつつじの道を縫って行く赤旗の列も美しいが、労働者の祭典が幕を閉じた後の暮れ際の空の色は、まさに紫紺。凛とした思いが、ひとりでに沸き上がってくる。春愁の季節は確実に過ぎていき、太陽の季節が近くなってきた。(清水哲男)


April 3041997

 永き日のにはとり柵を越えにけり

                           芝不器男

間でいちばん日照時間が長いのは夏至だが、俳句では「永き日」を春の季語としてきた。ゆったりとした春の日の実感からきたものだろう。ちなみに、夏は夜に焦点を移動して「短夜(みじかよ)」という季語を使う。このあたりの私たちの微妙な感覚は、外国人にはなかなか理解できないかもしれない。ところで、この句。ありのままの情景を詠んだものだが、無音のスローモーション・フィルムを見ているようで、句全体が春の日永の趣きを的確に描出している。句は忘れても、このシーンだけはいつまでも脳裏に残りそうだ。(清水哲男)




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