1997ソスN5ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1551997

 蕗刈るや山雨のはじめ葉を鳴らす

                           安藤五百枝

まにも降ってきそうな空の下で、おっかなびっくり仕事をはじめた途端に、やはりパラパラッと降ってきた。こんなときには、誰しもがたいした雨じゃないと思いたいところだけれど、葉に当たる音からして勢いが出てきそうな雨である。ならば、即刻ここで引き上げるべきか、それとも少しでも刈り取って帰るべきか。帰路は遠い……。見上げると、空は真っ暗だ。山の仕事につきものの天候の気まぐれ。このときの風景の色はといえば、さながら昔のソ連版カラー映画の暗緑色といったところだろうか。決してイーストマン的な色彩ではない。ところで、蕗を醤油で煮詰めた食べ物が、ご存じの「キャラブキ」だ。川端茅舎に「伽羅蕗の滅法辛き御寺かな」があり、生真面目なトーンの句だけに、思わずも笑わされてしまった。(清水哲男)


May 1451997

 女教師の眉間の傷も夏めけり

                           清水哲男

めく」は微妙な季語である。まだ春の雰囲気が残っているころ、なにげないものに夏の匂いを感じるというわけである。歳時記では「夏」。生と死のぎらぎらする夏。「女教師の眉間の傷」は短編小説に発展する素材でもある。作者は多分、その時中学生(高校生かな)。いずれにしろ微妙な年齢である。見てはならないものを見てしまったというより、それに魅せられ想像力をふくらませているとも言えるが、むしろ冷静に大人びた観察をしているように思える。その傷ははつかな汗に淡い光を帯びている。『匙洗う人』所収。(佐々木敏光)


May 1351997

 そら豆はまことに青き味したり

                           細見綾子

までは、ビールのつまみ。子供の頃は、立派なおかずだった。この句からよみがえってくる味は、子供の頃のそれである。我が家の畠で収穫したそら豆は、本当に「青き味」がしたものだが、いまどきの酒場で出すものには「青き味」どころか、ほとんど味というものがない。変な話だが、東京では銀座あたりの料亭にでもいかないと、そら豆にかぎらず「青き味」などは味わえなくなってしまった。ある所にはあるということ。ところで、なぜこの豆を「そら豆」というのだろうか。「葉を空に向けるので」と、物の本で読んだことがある。(清水哲男)




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