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May 1751997

 富める家の光る瓦や柿若葉

                           高浜虚子

ういう句に、虚子の天才を感じる。平凡な昔の田舎の風景を詠んでいるのだが、風景のなかに見えてくるのは、単なる風景を超えた田舎の権力構造そのものである。柿の若葉はよく光りを反射してまぶしいものだが、そのなかでひときわ光っているのが瓦屋根だという着眼力。そのかみの田舎では、金持ちでなければ瓦の屋根は無理であった。知らない土地に行っても、屋根を見れば貧富の差はすぐに知れたものだ。杉皮で葺いた屋根の下に暮らしていた小学生の私は、瓦屋根の家の柿若葉の下で、窓越しにラジオを聴かせてもらっていた。野球放送のなかで、自然に流れてくる都会の雑音を聞くのも楽しみだった。船の汽笛が聞こえてきたこともある。あれは、どこの球場からの実況放送だったのだろうか。昭和二十年代。昔の話である。(清水哲男)


May 1651997

 万緑の中や吾子の歯生えそむる

                           中村草田男

んな歳時記にも載っている句だ。それもそのはずで、「万緑」という季語の創始者は他ならぬ草田男その人だからである。「万緑」の項目を立てる以上、この句を逸するわけにはいかないのだ。草田男自身は、ヒントを王安石の詩「万緑叢中紅一点」から得たのだという。見渡すかぎりの緑のなかで、赤ん坊に生えてきたちっちゃな白い歯がまぶしいという構図。人生の希望に満ちた親心。この親心のほうが、読者には微笑ましくもまぶしく感じられるところだ。私は読んでいないが、この句のモデルになったお嬢さんが、最近、家庭人としての草田男像を書いた本を上梓され評判になっている。もうひとつの草田男の名句になぞらえていうならば、だんだん「昭和も遠くなり」つつあるということか。(清水哲男)


May 1551997

 蕗刈るや山雨のはじめ葉を鳴らす

                           安藤五百枝

まにも降ってきそうな空の下で、おっかなびっくり仕事をはじめた途端に、やはりパラパラッと降ってきた。こんなときには、誰しもがたいした雨じゃないと思いたいところだけれど、葉に当たる音からして勢いが出てきそうな雨である。ならば、即刻ここで引き上げるべきか、それとも少しでも刈り取って帰るべきか。帰路は遠い……。見上げると、空は真っ暗だ。山の仕事につきものの天候の気まぐれ。このときの風景の色はといえば、さながら昔のソ連版カラー映画の暗緑色といったところだろうか。決してイーストマン的な色彩ではない。ところで、蕗を醤油で煮詰めた食べ物が、ご存じの「キャラブキ」だ。川端茅舎に「伽羅蕗の滅法辛き御寺かな」があり、生真面目なトーンの句だけに、思わずも笑わされてしまった。(清水哲男)




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