May 231997
店じまひしたる米屋の燕の巣
塩谷康子
ガソリン・スタンドで米を売る時代だもの、廃業に追い込まれる米屋があっても不思議ではない。事情はともあれ、店じまいしてガランとした米屋の軒先に、今年もまた燕がやってきた。何もかもきれいさっぱりと片づけて去った店の主人が、燕の住環境だけはそのまま残しておいたのだ。そんな店主の人柄が伝わってくる句。滅びと出立の対照の妙もある。私が若かったころは、引っ越しをするたびに米穀通帳(寺山修司が「米穀通帳の職業欄に『詩人』と記入する奴はいない、詩人は職業じゃないから」と、当時の雑誌に書いていたことを思い出す)を更新する必要があり、あちこちの米屋のお世話になった。どこの店にも独特の米糠の匂いが満ちており、どこのご主人も、人柄になぜか共通するところがあったような気がする。『素足』所収。(清水哲男)
February 181998
木々のみな気高き春の林かな
塩谷康子
死語にもいろいろある。句の「気高き」などもその一つだろう。気高い山といえば、昔は富士山が定番だったけれど、いまでは富士山を形容して「気高い」とはほとんど言わなくなった。この山の場合は権力がいいように「気高く」扱ってきた歴史があるから(富士山のせいじゃない)、べつに気高いと思わなくても構わないのだが、しかし、この言葉が象徴する「品格」一般がないがしろにされている事態には承服しかねる。「上品」「下品」も、いまや死語に近くなっているのではないか。言葉の生き死にには、当然歴史的社会的背景があり、経済優先の世の中では「品位」などなくたって構わないし、日本版ビッグバン(変な言葉だ)が進行していけば、ますます「下品」が下品と承知しないではびこるのだろう。一方では、しかし作者のように、木々の「気高さ」を素直に実感として感じている人が存在していることも確かなわけで、経済の暴走族どもにいいように言葉を引き倒されるのはたまらない。そのような無惨を許さないためにも、たとえば俳句は「気高さ」をもっと詠んで欲しいと思った。『素足』(1997)所収。(清水哲男)
July 311998
ががんぼを厨に残しフランスへ
塩谷康子
海外旅行。長期間家を空けるとなると、出発直前にあれこれと家の中を点検する。とくに厨房は火の元でもあるし、ガスの元栓などは何度でも確かめたくなる。と、そこに一匹のががんぼがいた。窓を開けて出してやろうとしたのだが、なかなか出てくれない。いま出てくれないと、作者が戻ってくるまで窓は開かれないのだから、確実に死んでしまうだろう。それを思うと、何とかしてやりたいのだが、どうにもならぬ。さあ、困ったことになった。時計を見ると、そろそろ出かけなくてはならない時間だ。数分間逡巡したあげくに、あきらめてそのままにしておくことにした。タイム・リミットだからね、仕方がないよねと、自分を納得させて、作者はフランスへ旅立ったというわけだ。「ががんぼ」と「フランス」の取り合わせもなんとなく可笑しいが、時間ぎりぎりまで「ががんぼ」にこだわった作者の心根も興味深い。遠い国への稀な旅は、このようにどこかで「命」に心を向かわせるところがある。まずは自分の「命」を思うからであろうが、普段なら気にも止めない「命」にも、その心は及んでいく。『素足』(1997)所収。(清水哲男)
November 112000
校庭の土俵均され秋の雲
塩谷康子
箒目(ほうきめ)も鮮やかに、土俵が均(なら)されている。縹渺(ひょうびょう)と雲を浮かべて、天はあくまでも高い。好天好日。作者は上機嫌だ。はじめは、これから相撲大会でもはじまるのかなと思ったが、休日の学校風景だろうと思い直した。そのほうが、句の味が濃くなる。たまさか子供らのいない校庭に入ると、不思議な緊張感にとらわれる。学校嫌いだった私だけの感じ方だろうが、なぜか授業中にひとり校庭にたたずんでいるような……。終業のベルが鳴ったら、みんなが昇降口からどっと出てくるような……。もうそんなことは起きないのだと思い直して、やっと安心する。そこで、作者と同じ上機嫌になる。そんな回路でしか、学校句は読めない。ところで、いまどきの学校に土俵はあるのだろうか。句集をひっくり返してみたら、作者は横浜市在住である。きっと近所の学校にあるのだろうけれど、かなり珍しいのではないか。昔は、四本柱の土俵がどこの学校にもあった。当然、男の子は体操の時間に相撲を取らされた。取るといってもねじり倒しっこみたいなもので、当人同士は真剣でも傍目には不格好だ。非力だが、嫌いじゃなかった。力いっぱい取り組んだ後は、負けても爽快感が残ったからだ。取っ組み合いの喧嘩でも同じで、身体と身体を直接ぶつけ揉み合う行為には、奇妙な恍惚感がある。なんだろうなあ、あれは……。中学を出て以来、ついぞそんな気持ちを味わえないままに、ここまで来てしまった。『素足』(1997)所収。(清水哲男)
March 242001
一斉に客の帰りし朧かな
塩谷康子
朧は「おぼろ」。「では、そろそろ失礼します……」。「あっ、もうこんな時間……」。一人が立ち上がると、うながされたように、みんなが「一斉に」立ち上がる。玄関まで見送って部屋に戻ると、そこには独特の雰囲気の空間が残っている。つい先刻まで笑いさざめいていた人たちの余韻があって、なんだか淋しいような、ホッとしたような。これから後片づけが待っているのだが、時は春。もてなした側の気配りの疲労感も、ぼおっと心地よく「朧」に溶けて、しばし室内を見渡している。どこか「一期一会」に通じるような、そんな作者の心情の通ってくる句だ。やはり春でなければ、こうは詠めまい。「朧」が客たちの余韻をふうわりと包み込み、引き摺るのである。むろん、これはホストとしての句。客によっては、ホストになれない家族もいる。子供の頃の来客は、いやだった。たいていが父の客で、子供は挨拶させられるだけ。客のいる間は、どこかに引っ込んでいるしか仕方がない。昼間ならば表で遊ぶというテもあるけれど、夜は別の部屋で息を殺すようにして過ごさねばならなかった。本でも読もうかと思うのだが、どうも気になって身が入らない。家の中に普段いない人が長時間いるということは、一つの事件と言ってもよさそうだ。教師の家庭訪問などは、さしずめ大事件と言うべきか。現状では、我が家の客には、圧倒的に連れ合いの客が多い。ついで、子供の客。その間は、別室で小さくなっている。私に客が少ないのは、男同士の交友はたいてい外の飲屋ですませてしまうせいと思うが、こういう句に触れると、たまには自宅で楽しくやりたくなってくる。春おぼろ……。今日あたり、この句を実感する読者もおられるだろう。『素足』(1997)所収。(清水哲男)
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