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June 2461997

 尺蠖の時を惜しまず戻りけり

                           なかのげんご

蠖(しゃくとり)は尺取虫。なるほど、こいつはいつも悠々と尺を取って歩いている。時間の観念を感じさせない。子供の頃はこちらも暇だったから、いつまでも飽きずに眺めていたっけ。まさか大人になってから、分秒単位の仕事に就くなどとは、夢にも思わなかった。ラジオの仕事をはじめる前に、情報番組のパーソナリティとしては草分けの片山竜二(故人)さんのお宅にうかがう機会があった。身体を悪くして引退された時期のことで、見ると、お宅の掛け時計の文字盤には数字がなかった。もちろん、秒針もない。「分だ秒だなんて、もうイヤだからね」と話されたが、しかし口調はどこか寂しげだった。分秒の毒がまわると、ちょっとやそっとでは尺蠖の境地には至れないのである。『問名集』所収。(清水哲男)


June 2361997

 短夜や壁にペイネの恋かけて

                           上田日差子

春俳句の傑作。「恋かけて」という言い回しが、とても新鮮だ。短夜(みじかよ)を恨みたくなるほどに、青春の時は過ぎやすい。比べて、レイモン・ペイネの描いた恋人たちの永遠性はどうだろう。見れば見るほど、羨望の念がつのってくる。と同時に、みずからの恋する心が満たされる日のことも画像に重なってくるのだから、またしても壁のペイネを見やってしまうのである。いいですね、この乙女心は。技巧を感じさせない句の素直さで、なおさらに。(清水哲男)


June 2261997

 ほうたるや闇が手首を掴みたり

                           藤田直子

句があるような気がする。あっても一向に構わないが、そんなふうに私が感じたのは、この闇の中の感性が女性特有のものであり、共通する感性が生んだ句をいくつも読んで啓蒙されてきたからだろう。幻想か、現実か。それはどちらでもよいのだし、どちらでもないのかもしれない。いずれにしても、闇が女を確実に女にすることがあるということだ。それにひきかえ、男の蛍見物などは、まことにもって無邪気なものである。男はむしろ、闇の中で幼児化してしまう。『極楽鳥花』所収。(清水哲男)




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