June 271997
青梅をかむ時牙を感じけり
松根東洋城
言われてみると、なるほどと思うことはよくある。歯に関する知識はないが、青梅のような固いものを噛むときには、なるほど口腔に牙のような歯があることを感じさせられる。昔の人が俗に言った「糸切り歯」あたりの歯のことだろうか。ところで、私が子供だったころには、たいていの子供は青梅を食べることを親から禁じられていた。「お腹が痛くなる」という理由からだった。戦後の飢えがあったけれども、親に隠れて僕らはよく食べたものだ。仮名草紙『竹斎』に「御悪阻(つわり)の癖としてあをうめをぞ好かれけり」とあるそうで(『大歳時記』集英社)、言われてみると妊婦には、牙をむき出して青梅など酸っぱいものに立ち向かう勢いがあり、それが実に頼母しいのである。(清水哲男)
November 011998
武蔵野は十一月の欅かな
松根東洋城
たしかに、十一月の欅(けやき)は美しい。句の武蔵野がどのあたりを指すのかは不明だが、現在の武蔵野市でいえば成蹊大学通りの欅並木が有名である。この季節に黄葉した並木通りに立つと、句境がさわやかに感じられて心地よい。とはいえ、武蔵野市と欅の結びつきはそんなに古いものではなく、成蹊の欅も大正末期に植樹されたものだ。したがって、明治の人である國木田獨歩が『武蔵野』で書いているのは、欅ではなく楢(なら)の林の美しさである。「緑陰に紅葉に、様々の光景を呈する其妙は一寸西国地方又た東北の者には解し兼ねるのである」と威張っている。まだ、渋谷が村であった時代だ。しかし、獨歩の楢林もまた明治の特色なのであって、古く詩歌にうたわれた武蔵野は果てなき萱(かや)原によって代表される。獨歩は、その古い武蔵野のおもかげをなんとか見てみたいと思い、その気持ちが『武蔵野』執筆の動機となった。「『武蔵野の俤(おもかげ)は今纔(わずか)に入間郡に残れり』と自分は文政年間に出来た地図で見た事がある」というのが、開巻冒頭の一行だ。入間郡は、現在の埼玉県入間市。「武蔵野」というと、なんとなくいまの武蔵野市あたりと思っている人が多いようだが、そうではないことがわかる。渋谷なども含め、もっと広大な地域を指す呼称だった。(清水哲男)
October 261999
秋薔薇や彩を尽して艶ならず
松根東洋城
彩は「いろ」、艶は「えん」と読む。毎日、俳句を読むようになってから、自分にいかに動植物に関わる知識が欠けているかを痛感している。特殊な動植物のそれではなく、そこらへんで見かける植物や動物について、知らないことが多すぎるのだ。これではならじと、ここ三年ほど、一つ一つ覚えるようにしてきたものの、まだまだ駄目である。今朝方も庭に薔薇が咲いているのを見て、狂い咲きかなと思っていたら、俳句の季語に「秋薔薇」が存在することを知って愕然としたばかりだ。講談社から新しく出た『新日本大歳時記』をパラパラめくっていたら、目に飛び込んできた(ちなみに、当ページが一応のよりどころにしている角川書店の『俳句歳時記』には、「秋薔薇」の項目はない)。講談社版から、解説を引き写しておく。「薔薇は四月、五月と咲くので夏の季語であるが、一段落して盛夏を休み、秋涼しくなって再び咲くのを秋薔薇という。二度目なので樹勢に左右され、花はやや小ぶりであることが多い。秋気いや増す中で芳香を放って咲く気品が愛される」(伊藤敬子)。で、例句として掲句がプリントされているのだが、解説との微妙なニュアンスのずれが面白い。解説者は秋薔薇の美点を芳香に見ており、作者は色彩に見ている。いずれにしても両者ともが、秋の薔薇のほめ方に少し困っている。「色はいいんだけどなあ」と書いた東洋城のほうが、少し正直である。(清水哲男)
March 252002
にぎやかな音の立ちけり蜆汁
大住日呂姿
季語は「蜆(しじみ)」で春。松根東洋城に「からからと鍋に蜆をうつしけり」があるが、私の知るかぎりでは、蜆のありようを音で表現した句は珍しい。どちらかと言えば、庶民の哀感を演出する小道具にされることが多く、それはそれで納得できるけれど、たしかに蜆を食するには音から入るということがある。「あったりまえじゃん」などと、言うなかれ。蜆の味噌汁の美味さは、この音を含んでこその味であることを再認識させてくれるのが掲句である。いや、作者自身も音の魅力にハッと気がついての作句なのだろう。もう一つ、俳句でしかこういうことは言えないなあ、とも思った。家族そろっての朝餉だろうか。いっせいにシャカシャカと「にぎやかな音」がしていて、明るく気持ちよい。今日一日が、なんとなく良い方向に進みそうな気がしてくる。月曜日の朝は蜆汁にかぎる。そんなことまで思ってしまった。食べ物と音といえば、某有名歌手が食事のときに音を立てることを極度に嫌ったという話がある。だから、蕎麦屋に連れていかれた人たちは大迷惑。音を立てて食べることが許されない雰囲気では、美味くも何ともなかったと、誰かが回想していた。『埒中埒外』(2001)所収。(清水哲男)
September 112006
梨の肉にしみこむ月を噛みにけり
松根東洋城
作者は漱石門、大正期の作品だ。季語は「梨」で秋。「肉」は「み」と読ませていて、むろん梨の「実」のことであるが、現代人にこの「肉」は違和感のある使い方だろう。「肉」と言うと、どうしても私たちは動物のそれに意識が行ってしまうからだ。しかし、昔から「果実」と言い「果肉」と言う。前者は果物の外観を指し、後者はその実の部分を指してきた。だから、梨畑になっているのは「実」なのであり、剥いて皿の上に乗っているのは「肉」なのだった。この截然たる区別がだんだんと意識されなくなったのは、おそらく西洋食の圧倒的な普及に伴っている。いつしか「肉」という言葉は、動物性のものを指すだけになってしまった。東洋城の時代くらいまでの人は、植物性であれ動物性であれ、およそジューシーな食感のあるものならば、ともに自然に「肉」と意識したのだろう。言語感覚変質の一好例だ。冷たい梨をさりさりと食べながら、ああ、この肉には月の光がしみこんでいるんだなと感得し抒情した句。なるほど、梨は太陽の子というよりも月の子と言うにふさわしい。ただ、こうしたリリシズムも、この国の文芸からはいまや影をひそめてしまった。生き残っているとすれば、テレビCMのような世界だけだろう。現代の詩人が読んだとしら、多くは「ふん」と言うだけにちがいない。抒情もまた、歳を取るのである。『東洋城全句集』(1967)所収。(清水哲男)
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