1997ソスN6ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2961997

 田の母よぼくはじゃがいもを煮ています

                           清水哲男

は少年に留守を任せて田に出ていった。少年は母の帰宅を待ちながら、母に命じられたじゃがいもを煮ている。時刻は家の外の青田に日ざしが溢れる昼時と思われる。たとえば句とは立場が逆の「田草とり終へてかへればうれしもよ魚を焼きて母は待ちをり」(結城哀草果)とは作品の空気の色が違う。暮らしは貧しくとも農業が信じられて、少年は少年なりに仕事を分担した時代の回想だろうか。作者は詩人、俳号赤帆。(草野比佐男)

[編者註]「日本農業新聞」(6月17日付)より転載。


June 2861997

 貨車の扉の隙に飯喰う梅雨の顔

                           飴山 實

後十一年(1956)、国鉄労働者という存在が組織的には輝いていた時代の句。つらい労働の合間にふと垣間見せた一個人としての表情を、作者は見逃さなかった。無心ではあるが、暗い影のある表情。もとより、それはある日ある時の自分のそれでもあるはずなのだが……。飯のために働き、働くために飯を喰う。そんな単純で素朴な社会における人物スケッチだ。最近ではトラック輸送に追いやられて、長い貨車の列など見たことがない。子供らが競って、車体に表示された記号から、何を運ぶための貨車なのかを覚えた時代だった。『おりいぶ』所収。(清水哲男)


June 2761997

 青梅をかむ時牙を感じけり

                           松根東洋城

われてみると、なるほどと思うことはよくある。歯に関する知識はないが、青梅のような固いものを噛むときには、なるほど口腔に牙のような歯があることを感じさせられる。昔の人が俗に言った「糸切り歯」あたりの歯のことだろうか。ところで、私が子供だったころには、たいていの子供は青梅を食べることを親から禁じられていた。「お腹が痛くなる」という理由からだった。戦後の飢えがあったけれども、親に隠れて僕らはよく食べたものだ。仮名草紙『竹斎』に「御悪阻(つわり)の癖としてあをうめをぞ好かれけり」とあるそうで(『大歳時記』集英社)、言われてみると妊婦には、牙をむき出して青梅など酸っぱいものに立ち向かう勢いがあり、それが実に頼母しいのである。(清水哲男)




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