July 061997
炎昼いま東京中の一時打つ
加藤楸邨
灼けつくように暑い昼時である。普段は人通りの多い街中も、嘘のように静まりかえっている。束の間のゴーストタウンみたいだ。その静かな空間に、突然家々の柱時計がいっせいに一時の時報を打ち出す。東京中で打っている。現実の光景が、一瞬幻想的なそれに転化したような心持ち。かつての都会の真夏の光景を、斬新な技法で巧みにとらえている。なお「炎昼(えんちゅう)」という季語の使用は比較的新しく、1938年(昭和13年)に出た山口誓子の句集『炎昼』以来、好んで詠まれるようになったという。(清水哲男)
August 192003
炎昼の血砂を吐けり落馬騎手
山本光篁子
季語は「炎昼(えんちゅう)」で夏。燃えるように暑い真夏の競馬場で、落馬した騎手が地面に叩きつけられた瞬間を押さえた句だ。「血砂」は「けっさ」と発音するのだろう。騎手が吐いたのはむろん「血」であるが、それが地面の「砂」にぱっとかかった様子を描写するのに、作者はあえて「血砂」という造語をもってした。あたかも騎手が「血」と「砂」を同時に吐いたかのようだが、それがこの句の情景をかえって鮮明にしている。飛び散った「血」と「砂」に、瞬間的にピントを正確に合わせた写真のように、落馬の情景は読者の網膜にくっきりと焼き付けられるのだ。そして、このときに現場では起きたであろう観客のどよめきも、委細構わずに走り去っていく他の馬群のとどろきも、句からは何も聞こえてこない。奇妙なほどに、あたりはしいんとしている。ただあるのは、既にしてどす黒くも鮮かな「血砂」に倒れ込んだ騎手の無音のストップモーションだ。状況は違うけれど、読んだ途端に私は、スペイン戦線で被弾した瞬間の兵士を撮ったロバート・キャパの写真に共通するものを感じたのだった。すなわち、非情の世界にはいつだって音などは無いものなのだと……。いずれにしても、このシャッターチャンスを逃さなかった作者の眼力が素晴らしい。競馬に取材した句は数あれど、なかでも出色の一句と言ってよいだろう。俳誌「梟」(2003年8月号)所載。(清水哲男)
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