1997ソスN7ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0871997

 米足らで 粥に切りこむ 南瓜かな

                           森 鴎外

が乏しいので、南瓜を多めに入れた粥を炊いた。茶碗によそってみると、南瓜が粥に切りこむような存在感を示している。明治の作品だが、戦後の食料不足を知る私などには、身につまされる句だ。南瓜ばかり食べていて、我が家ではみんな黄色い顔をしていた。それにしても、鴎外(「鴎」は略字)に俳句があるとは驚きだった。飯島耕一の『日本のベル・エポック』ではじめて知った。飯島さんに言わせれば「鴎外の句は、いかにも抒情詩的俳句で、どうやら句としての味にも深みに欠けるし、漱石には色濃くあった滑稽味もまったくない」と散々である。『うた日記』所収。(清水哲男)


July 0771997

 置手紙西日濃き匙乗せて去る

                           中島斌雄

話が普及していなかった頃には、しばしばこういうことが起きた。目上の人などとは手紙で訪問の日時を約束したが、親しい間柄では、とりあえず相手宅に出向いてみたものである。作者は友人の下宿を訪ねたのだろう。折りあしく不在だったが、顔見知りの大家が部屋に通してくれた。しかし、待てど暮らせど友人は戻らない。待ちくたびれて、置き手紙をして辞することにした。冷房設備など何もない部屋だから、窓は開け放しだ。風で飛ばないように、大家が出してくれた冷たいものに添えられた匙を使ったというわけである。濃い西日を受けて光る匙が、友情の象徴のように見える。男女の擦れ違いと読めなくもないが、そういうときには匙は乗せないだろう。(清水哲男)


July 0671997

 炎昼いま東京中の一時打つ

                           加藤楸邨

けつくように暑い昼時である。普段は人通りの多い街中も、嘘のように静まりかえっている。束の間のゴーストタウンみたいだ。その静かな空間に、突然家々の柱時計がいっせいに一時の時報を打ち出す。東京中で打っている。現実の光景が、一瞬幻想的なそれに転化したような心持ち。かつての都会の真夏の光景を、斬新な技法で巧みにとらえている。なお「炎昼(えんちゅう)」という季語の使用は比較的新しく、1938年(昭和13年)に出た山口誓子の句集『炎昼』以来、好んで詠まれるようになったという。(清水哲男)




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