July 131997
船内に飛んでをりしは道をしへ
清崎敏郎
子供のころは一里の道を通学していたので、この虫にはお世話になった。というよりも、退屈しのぎによく遊んでもらった。人が近づくと、飛び上がって少し先へ行く。道にそって、同じ動作を何度もくりかえす。その様子があたかも道を教えているように見えるので、「道をしへ」という。身体に細かい斑点があることから、正式には「斑猫(はんみょう・たいていのワープロでは一発変換されるほどの有名虫)」と呼ぶ。しかし、さすがの「道をしへ」も、船のなかでは役に立たない。水先案内人にはなれるわけもない。ただ習性で飛んでいるのだけれど、そんな姿に作者は苦笑している。時と場所を得ないと、人間にもこういうことは起きそうである。『東葛飾』所収。(清水哲男)
July 222003
斑猫やわが青春にゲバラの死
大木あまり
季語は「斑猫(はんみょう)」で夏。山道などにいて、人が近づくと飛び立ち、先へ先へと飛んでいくので「道おしえ」「道しるべ」とも言われる。作者はこの虫に従うようにして歩きながら、ふっと革命家・ゲバラのことを思い出した。カストロなどとキューバ革命を成功させ、国立銀行総裁を振り出しとする中枢の地位にありながら、その要職を抛ってボリビアでの困難極まるゲリラ闘争に参加し殺された男のことを……。ゲバラがボリビア政府軍によって射殺されたのは1967年のことだった。アルゼンチンの中流家庭に生まれ医師となり、そこではじめて社会の激しい矛盾に出会ってから、すべてのエネルギーを革命に注ぎ込んだ男のことは、遠い日本にも鳴り響いていた。折しもベトナム戦争は泥沼の様相を露わにし、日本では全共闘運動がピークに達しようとしていた。大学という大学がバリケード封鎖されたといっても、今日の若者にはまったくピンと来ないだろうが、そんな異常事態が自然な状態に思えるほど、当時の世界は混沌としていた。右から左まで、どんな思想の持ち主でも、明日の世界を思い描くことはできなかったろう。このときに、あくまでも信念を曲げずに一ゲリラとして闘っていた男の姿は、多くの若者に偉大に写った。人間が人間らしくあることの、一つのまさに「道しるべ」なのであった。だから、彼の死がどこからともなく噂として流れてきたときには、私も作者と同じように重い衝撃を受けた。咄嗟に「嘘だっ」と反応した記憶がある。ボードレールとパブロ・ネルーダとシュペングラーをこよなく愛した革命家。ゲバラのような男は、もう出てこないだろう。「あのころ、世界で一番かっこいいのがゲバラだった」(ジョン・レノン)。『火球』(2001)所収。(清水哲男)
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