1997ソスN7ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2571997

 百日紅この叔父死せば来ん家か

                           大野林火

起でもない話だが、この家が代替わりすれば、こうやって毎夏訪れることもなくなるのだろう。叔父も老齢だ。何事もなかったように、庭の百日紅(さるすべり)だけは咲きつづけるのだろうけれど……。百日紅の花は勢いがよく花期も長いだけに、しばしば逆に死のイメージと結びつけられてきた。独特の花の赤い色が、そうした連想をさらに助長するのかもしれない。鷲谷七菜子に「葬終へし箒の音や百日紅」がある。(清水哲男)


July 2471997

 遠雷や父の電車は絵の中に

                           柴崎昭雄

そがれ時、一天俄かにかき曇り、遠くでは不気味に雷が鳴りはじめた。遠雷(えんらい)の方角は、ちょうど父が働いている土地の上空のようだ。「傘は持っているだろうか」と、少年は心配する。「でも、この時間ならもう電車の中だろうな」と、壁に貼った自分の絵の中の電車を見やるのである。絵の中の電車は、いつものようにのんびりと走っている……。現実に遠くを走る電車から自室の絵の中の電車へと、素早く焦点を移動させているところが魅力的だ。そして、遠くにいる父をさっと身近に引き寄せた感性の遠近法も。『木馬館』所収。(清水哲男)


July 2371997

 雲の湧くたびに伸びんと夏蓬

                           廣瀬直人

ことにもって暑苦しい光景。蓬(よもぎ)も、蓬餅のために摘むころにはむしろ可憐でさえあるが、夏場にかかると、もういけない。図太く生長しつづけ、引っこ抜こうにも根が頑固で、ちっとやそっとの力では引き抜けなくなってしまう。蓬の生態を、実に的確にとらえた作品だ。もとより作者は、どちらかといえば、そうした蓬の生命力の強さに賛嘆の念を抱いているのである。元気な我が身との相似性を言っているようにも読める。猛暑も楽し。かつ風流でもあるということだろう。(清水哲男)




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