1997ソスN7ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2971997

 そのことはきのうのように夏みかん

                           坪内稔典

蜜柑は、気分を集中しないと食べられない。スナック菓子のように、簡単に口に運ぶわけにはいかない。したがって、つい先程の「そのこと」などは、あたかも昨日のことのように遠のいてしまう。「そのこと」とは何だろうか……。本来であれば、しばし当人の心に引っ掛かるはずのことどもであろうが、しかし、その中身は読者にゆだねられている。男女のことでもよいし、生活の中の不意のトラブルでもよい。稔典は俳句を指して、作者と読者の「新たな関係を創造する装置」だと言う。「どんなに厳密に書かれていても、俳句はついに一種の片言にすぎない」とも。だから読者としては、安んじて「そのこと」の中身を自由勝手に想像してよいのである。というよりも、この句の面白さは、作者のそうした俳句理論の露骨な実践的企みにある。『猫の木』所収。(清水哲男)


July 2871997

 熟れきつて裂け落つ李紫に

                           杉田久女

しすぎた李(すもも)が紫色に変色して落ちてしまった。よくある光景だが、久女という署名がつくと、どうしても深読みしたくなる。女人の哀しいエロティシズムを感じてしまう。李そのものが艶っぽい姿形をしていることもある。口にあてるときに、ちょっと緊張感を強いられる。蛇足ながら「スモモモモモモモモノウチ(李も桃も桃の内)」とは、新米アナウンサーが練習用に使う早口言葉のひとつだ。そういえば、富安風生に「わからぬ句好きなわかる句ももすもも」というのがある。(清水哲男)


July 2771997

 花火師か真昼の磧歩きをり

                           矢島渚男

は「かわら(河原)」。今夜花火大会の行なわれる炎熱の河原で立ち働く男たち。花火師を詠んだ句は珍しい。中学三年のとき、父が花火屋に就職し、私たち一家は花火屋の寮に住むことになった。だから、花火や花火師についての多少の知識はある。指の一本や二本欠けていなければ花火師じゃない。そんな気風が残っていた時代だった。工場で事故が起きるたびに、必ずといっていいほど誰かが死んだ。花火大会の朝は、みんな三時起きだった。今でも打ち上げ花火を見ると、下で働く男たちのことが、まず気になってしまう。(清水哲男)




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