1997ソスN8ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2281997

 定位置に夫と茶筒と守宮かな

                           池田澄子

宮は「やもり」。夏の夜に出てきて、天井や門灯に手をひろげてぴったりと吸いつく。この場合は、ダイニング・ルームの窓ガラスに、外側から貼りついているのである。ここ数日、いつも同じ場所にいる。気色はよくないが、ふと気がつくと、夫もいつもの席、茶筒もいつものところに鎮座しており、なんだかおかしさがこみあげてきた。誰が決めたわけでもないのに、家庭内の人や物が、いつの間にかそれぞれの位置におさまっている面白さ。そこにもうひとつ家庭とは無縁の守宮を加えてみせたところに、作者の面目がある。この句を読んだ「夫」の感想を聞いてみたい。『空の庭』所収。(清水哲男)


August 2181997

 ちらと笑む赤子の昼寝通り雨

                           秋元不死男

夏の陽光をいきなり遮断するように、音をたてて雨が降ってきた。通り雨だ。作者は思わず、傍らですやすやと眠っている赤ん坊が、驚きはしないかと目をやった。すると、赤ん坊がちらりと笑ったというのである。楽しい夢でも見ているのだろうか。すなわち、すべて世は事もなし。なんでもない日常のなかで味わうささやかな幸福観。このがさつな時代に、こういう句に出合うとホッとする。誰もが、もっとこういう時がもてればよいと思う。深刻ぶることだけが文学じゃない。(清水哲男)


August 2081997

 指し数ふ麻座布団の昼の席

                           北野平八

かの会合の流れだろうか。まだ日も高いし、別れがたい七、八人が軽く一杯やろうかという話になった。よくあることだが、こういうときにはたいてい自然発生的に幹事役になる男がいて、二階に座敷のある店を知っていたりする。で、ここからが人間の妙なところで、座敷に通されるや、彼はいちいち指差しながら座布団の数が足りているかどうかを確認するのだ。でも、その場にいる誰もが「子供じゃあるまいし……」などとは思わない。むしろ、自分でもそうしたいくらいな心持ちになる。だから、いやでも座布団が麻であることを認識させられてしまうのである。楽しい夏の午後のひとときの気分がよく出ている。かくのごとくに、俳句の材料はどこにでも転がっているという見本のような句でもある。『北野平八句集』所収。(清水哲男)




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