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August 2381997

 とり囲み零戦を焼く夏の火に

                           大矢武師

戦(ゼロせん)は、旧日本海軍の誇った高性能戦闘機。敗戦時、作者はそれを製作していた中島飛行機三鷹研究所に勤務していた。それぞれの軍需工場では米軍の本格的進駐を前に、こうやって「証拠湮滅」をはかったのである。当時小西六(現・コニカ)にいた川村兼吉 の証言が、亀井武編『日本写真史への証言』(淡交社)の下巻に出てくる。「工場長の代わりに小島部長がいった。『今日はマッカーサーが厚木に着くんだそうだ。そうなると米軍があちこちから上陸してくるだろう。うちへもくるかもしれない。そうなると、うちで軍用カメラをやっていたことがわかってはまずい。在庫品はみんな叩き潰してスクラップにしてしまいたい。皆協力して下さい』。協力? 部課長ばかり十何人でこれができるだろうか。しかもみんな丹精込めて作ったものである。屋上へ製品を持ち出してこわしかけたが、私は涙が出た。……」。ところが、この証言は川村氏の記憶違いで、実際は九月に入ってから米軍の許可を得てスクラップにしたことが後に判明したそうだ。しかし、私としてはそんなことはどちらでもよい。自分の作ったものを自分の手で廃棄しなければならない哀しみを、多くの日本人が味わったことに違いはないからである。涙ににじんだ炎の色はどんなだったろうか。(清水哲男)




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