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August 2481997

 ひぐらしや静臥の胸に水奏で

                           鷲谷七菜子

臥(せいが)は、静かに横になっている状態。たぶん、このとき作者は病気なのである。夕刻、静かにやすんでいる耳に、遠くからひぐらしの声が聞こえてきた。病身の胸には、それがまるで漣(さざなみ)のようにやさしく響いてくる。熱も下がってきたようだし、明日あたりは起きられそうだ。ひぐらしの声を水の音にひきつけていて、少しも無理がない。『黄炎』所収。(清水哲男)


August 2381997

 とり囲み零戦を焼く夏の火に

                           大矢武師

戦(ゼロせん)は、旧日本海軍の誇った高性能戦闘機。敗戦時、作者はそれを製作していた中島飛行機三鷹研究所に勤務していた。それぞれの軍需工場では米軍の本格的進駐を前に、こうやって「証拠湮滅」をはかったのである。当時小西六(現・コニカ)にいた川村兼吉 の証言が、亀井武編『日本写真史への証言』(淡交社)の下巻に出てくる。「工場長の代わりに小島部長がいった。『今日はマッカーサーが厚木に着くんだそうだ。そうなると米軍があちこちから上陸してくるだろう。うちへもくるかもしれない。そうなると、うちで軍用カメラをやっていたことがわかってはまずい。在庫品はみんな叩き潰してスクラップにしてしまいたい。皆協力して下さい』。協力? 部課長ばかり十何人でこれができるだろうか。しかもみんな丹精込めて作ったものである。屋上へ製品を持ち出してこわしかけたが、私は涙が出た。……」。ところが、この証言は川村氏の記憶違いで、実際は九月に入ってから米軍の許可を得てスクラップにしたことが後に判明したそうだ。しかし、私としてはそんなことはどちらでもよい。自分の作ったものを自分の手で廃棄しなければならない哀しみを、多くの日本人が味わったことに違いはないからである。涙ににじんだ炎の色はどんなだったろうか。(清水哲男)


August 2281997

 定位置に夫と茶筒と守宮かな

                           池田澄子

宮は「やもり」。夏の夜に出てきて、天井や門灯に手をひろげてぴったりと吸いつく。この場合は、ダイニング・ルームの窓ガラスに、外側から貼りついているのである。ここ数日、いつも同じ場所にいる。気色はよくないが、ふと気がつくと、夫もいつもの席、茶筒もいつものところに鎮座しており、なんだかおかしさがこみあげてきた。誰が決めたわけでもないのに、家庭内の人や物が、いつの間にかそれぞれの位置におさまっている面白さ。そこにもうひとつ家庭とは無縁の守宮を加えてみせたところに、作者の面目がある。この句を読んだ「夫」の感想を聞いてみたい。『空の庭』所収。(清水哲男)




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