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September 0691997

 とろろなど食べ美しき夜とせん

                           藤田湘子

節の旬のものを食卓に上げる。ただちに可能かどうかは別として、そのことを思いつく楽しさが、昔はあった。大いなる気分転換である。現代風に言えば、ストレス解消にもなった。この句は、ほとんどそういうことを言っているのだと思う。「とろろなど」いつだって食べられる智恵を持つ現代もたしかに凄いけれど、季節のものはその季節でしかお目にかかれなかった昔の、こうした楽しさは失われてしまった。その意味からすると「昔はよかった」と言わざるをえない。いまのあなたの「美しき夜」とは、どういうものでしょうか……。ところで「とろろ」は漢字で「薯蕷」と書く。難しい字だが、たいていのワープロで一発変換できるところが、妙に可笑しい。ワープロ・ソフトの作者も「昔はよかった」と思っているのだろうか。そんなはずはない。だから、可笑しい。(清水哲男)


October 09101999

 くらくなる山に急かれてとろろ飯

                           百合山羽公

遊びの帰途。早くも暗くなりはじめた空を気にしながらも、とろろ飯を注文した。早く山を下りなければという思いと、せっかく来たのだから名物を食べておかなければという欲望が交錯している。私にもこういうことがよく起きて、食べ物でもそうだが、土産物を買うときにも「急かれて」しまうことが多い。作者にはいざ知らず、私は優柔不断の性格だから、いろいろと思いあぐねているうちに、時間ばかりが過ぎていってしまうのである。その意味で、この句はよくわかる。たいていの人は、そうではないと思う。名物があったら迷わず早めに食べたり買ったりして、帰りの汽車のなかでは、にぎやかに合評会をやったりしている。実に、羨ましい。「とろろ」は古来、栄養価の高いことから「山薬」といわれて珍重されてきた。自然薯(じねんじょ)を使うのが本来だけれど、希少なために、近年では栽培した長芋などで作る。これを麦飯にかけたのが「麦とろ」。白い飯にかけると食べ過ぎるので、それを防ぐために麦飯が登場したのだそうな。(清水哲男)


September 2492002

 不思議なるものに持病やとろろ汁

                           五味 靖

語は「とろろ汁」で秋。麦飯にかけたものが「麥とろ」。するするっと喉を越す味わいは何とも言えないが、逆に言えば、甘いとか辛いとか酸っぱいとかという、はっきりした味のない食べ物だ。一度も食べたことがない人に、口で説明するのは非常に困難な「不思議」な味である。そのとろろ汁を啜りながら、ふと作者は「持病」のことに思いがいたった。年齢を重ねれば、たとえ軽度であれ、たいていの人は一つか二つの持病を抱えこむ。いつもの兆候、いつもの発作。もはや慣れっこになっていて、ほとんど無意識のうちに対応できるので、日ごろあらためて意識することは少ない。が、作者のようにあらためて意識してみると、なるほど「不思議」といえば「不思議」な病気だ。周囲の人は免れているのに、なぜ自分にだけ取りついたのだろうか。掲句に触れたときに、長年の持病に悩む友人が、あるとき呟くように漏らした言葉を思い出した。「持病ってやつは、カラダから離れないんだよなあ」。だから持病なのだが、当たり前じゃないかとは笑えなかった。「ホントに、そうだよねえ」と答えていた。風邪や腹痛ならば、いずれは治る。カラダから出ていく。なのに、生涯出ていかない病気とは、やはり不思議と言うしかないだろう。瞑目するようにしてとろろ汁を啜っている作者の姿が、持病持ちひとりひとりの姿に重なってくる。『武蔵』(2001)所収。(清水哲男)


November 18112002

 さやうなら笑窪荻窪とろゝそば

                           摂津幸彦

語は「とろゝ(とろろ)」で秋だが、冬にも通用するだろう。物の本によれば、正月に食べる風習のある土地もあるそうだから、「新年」にも。ま、しかし、作者はさして季節を気にしている様子はない。「荻窪(おぎくぼ)」は東京の地名。「さやうなら」と別れの句ではあるけれど、明るい句だ。「さやうなら」と「とろゝそば」の間の中七によっては、陰々滅々たる雰囲気になるところを、さらりと「笑窪(えくぼ)荻窪」なる言葉遊びを配しているからである。つまり作者は、さらりとした別れの情感を詠みたかったということだ。たとえば、学生がアパートを引き払うときのような心持ちを……。このときに「笑窪荻窪」の中七は言葉遊びにしても、単なる思いつき以上のリアリティがある。ここが摂津流、余人にはなかなか真似のできないところだ。笑窪は誰かのそれということではなくて、作者の知る荻窪の人たちみんなの優しい表情を象徴した言葉だろう。行きつけの蕎麦屋で最後の「とろゝそば」を食べながら、むろん一抹の寂しさを覚えながらも、胸中で「さやうなら」と呟く作者の姿がほほえましい。元スパイダーズの井上順が歌った「お世話になりました」の世界に共通する暖かさが、掲句にはある。蕎麦屋のおじさんも「じゃあ、がんばってな」と、きっとさらりと明るい声をかけたにちがいない。いいな、さらりとした「さやうなら」は。『陸々集』(1992)所収。(清水哲男)


November 25112012

 海暮れて鴨のこゑほのかに白し

                           松尾芭蕉

享元年(1684)旧十二月中旬。『野ざらし紀行』の旅中、尾張熱田の門人たちと冬の海を見ようと舟を出した時の句です。この句の評釈をいくつか読んできた中に、『「鴨の声が白い」と、音を色彩で表現しているところに新しさがある』という考察があります。現在注目されている視覚と聴覚の共感覚を援用する考え方もあり、ナルホド、と一応理解はできるのですが腑に落ちません。まず、「鴨の声が白い」ということがわかりませんし、そう解釈するなら、中句と下句が主語と述語の関係になり、五・五・七の破格が凡庸になります。むしろ、五・五・七には必然性があり、舟を出して詠んでいるその実情に即して読みたいです。「海暮れてほのかに白し鴨のこゑ」ではなく、「海暮れて鴨のこゑほのかに白し」にした理由は、時系列の必然性にあるのではないでしょうか。港から舟をこぎ出すほどにだんだん海は暮れてきて、遠方は闇の中に沈んでゆく。すると、沖の方から鴨の声が聞こえてきた。その声の主の方を凝視していると、暗闇に目が慣れてきて、「ほのかに」白いものが見える。あれは、翼か雲か幽かな光か。「こゑ」を聞いたあとに、しばらく目が慣れるための時間が必要であり、目で音源を探っている、その、時の経過を形容動詞「ほのかに」で示しているように思います。このように読むと、嘱目の句であり、五・五・七の破格にも必然性が出てくると思うのですがいかがでしょうか。なお、世阿弥は『花鏡』の中で、「幽玄」とは、藤原定家の「駒止めて袖打ち払ふ陰も無し佐野の渡の雪の夕暮」にあると説いています。この歌には「幽玄」の三要素が描かれているように思われます。それは、輪郭が曖昧で、奥行きのある、白黒の世界ということです。雪が降っている夕暮れなので色彩は白黒で輪郭が曖昧になり、川の渡しですから奥行きもあります。掲句の芭蕉は、幽玄という中世の美意識を念頭に置いていたかどうか、定かではありません。それでも、「海暮れて鴨のこゑほのかに白し」は、奥行きのある輪郭が曖昧な白黒の世界を、鴨の声が気づかせてくれています。『芭蕉全句集』(講談社)所収。(小笠原高志)




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