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September 0791997

 少年の腰のくびれや草相撲

                           小坂順子

性ならではの句。色っぽい。ただし、見ているのが「草相撲」であるところに、この句の真価がある。プロの相撲にだって「少年」はいくらも出てくるが、誰も「腰のくびれ」などに注目したりはしない。そんな人がいたら、常識ではこれを変態と言う。同じハダカでも「草」と「プロ」とでは、大いに異なる。「草」のハダカは生々しく、「プロ」のそれはむしろハダカを感じさせない。昔のストリップ興業に例えれば、京都の千中ミュージックや岡山のOK劇場が「草」で、有楽町の日劇ミュージックホールや大阪のOSなどが「プロ」だった(ストリップ評論家たらんとした我が若き日の「データベース」???より)。技術の差なのである。素人は、どうあがいても自分の肉体に頼ってしまう。頼るから、肉体が生に表に出てしまう。そこへいくと玄人は、肉体に技術という衣を纏っているようなものだ。第一、肉体だけに頼っていたら商売にはならないからである。その意味からすると、この句はなかなかに奥深いことを言っている。古来「相撲」は秋の季語とされてきた。相撲が、宮中の秋の神事として行われていた頃の名残りである。(清水哲男)


June 1262001

 ところてん遠出となればはすつぱに

                           小坂順子

先の茶店での即吟だろう。「ところてん」は、上品に食べようとすると食べにくい。「遠出」の解放感から、作者は音を立てながらすすっている。食べているうちに、なんて「はすつぱ」な食べ方だろうとは思うが、そんな「はすつぱ」ぶりを自然に発揮できるのも、旅ならではの喜びだ。よく「旅の恥はかき捨て」と言うが、それともちょっとニュアンスは違う。恥とも言えない恥。強いて言えば、自分でしか気づかない小さな恥だ。それを奔放な「はすつぱ」と捉えたわけで、逆に作者日頃のつつましさも浮き上がってくる。可愛い女性だと、男には写る。ところで「ところてん」は「心太」と書く。語源ははっきりしないようだが、『広辞苑』には「心太(こころぶと)をココロテイと読んだものの転か」とあった。いささか苦しい説明のようだが、昔は「ところてん売り」が来たというから、その売り声の「ココロテイ」が「トコロテン」と聞こえていたのかもしれない。物売りの声には独特の発声法があって、一度聞いたくらいでは何を売っているのかわからない場合も多い。現に、我が家の近所に隔日に車でやってくる八百屋のお兄ちゃんの売り声も、いまだに何と言っているのか私には判然としない。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


July 1772003

 メロン掬ふ富士見え初めし食堂車

                           小坂順子

食堂車
語は「メロン」で夏。「掬ふ」は「すくう」。もう、こんな汽車の旅はできない。現在「北斗星」など一部の特別夜行列車にはあるが、「食堂車」を連結している昼行列車は完全に姿を消してしまった。新幹線から食堂車が無くなったのは、2000年初夏のことである。「のぞみ」には、最初から食堂車もビュッフェもなかった。初期の「のぞみ」に乗ったとき、隣席の人品卑しからぬ初老の紳士から「あのお、食堂車はどこでしょうか」と尋ねられたことを思い出す。句が作られた列車は、在来の東海道線特急だろう。東京大阪間を6時間半で走った。「メロン」は、デザートだろうか。食事も終わりに近づいたところで、富士山が見えてきた。何でもない句だけれど、楽しくも満ち足りた作者の旅行気分がよく出ている。昔の汽車旅行は目的地に着くまでにも楽しみがあった。ゆっくりと流れていく車窓からの風景を眺めながら、食事をする楽しみもその一つ。もっとも、私はいつもビールがメインだったけど(笑)。ただ、街のレストランなどに比べると、料金は高かった。その列車の乗客だけが相手の店なので、無理もないか。いったい、いくらくらいだったのだろう。かなり古い数字だが、たとえば1952年(昭和27年)の特急「つばめ」「はと」のメニューを見ると、こんな具合だ。「ビーフステーキお定食(ビーフステーキ野菜添え、コーヒー・パン・バター付) 350円」「プルニエお定食(鮮魚貝お料理野菜添え、コーヒー・パン・バター付) 300円」。ビール大瓶90円、コーヒー50円、サイダー45円、メロンなどの果物は「時価」とある。町で食べるソバが20〜25円のころだったと思うと、うーむ、やっぱり高いっ。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


July 2472003

 葛桜雨つよくなるばかりかな

                           三宅応人

葛桜
語は「葛桜(くずざくら)」で夏。当歳時記では「葛饅頭」の項目に入れておく。和菓子にうといので間違っているかもしれないが、一般的に葛饅頭を桜の葉で包んだものを葛桜と言うようだ。昔は東京名物だったという。「葛ざくら東京に帰り来しと思ふ」(小坂順子)。掲句の作者は小旅行の途中でもあろうか。折悪しくも雨模様の昼下り。一休みしようと入った店で、季節感の豊かな葛桜を注文したのだが、表を見るとだんだん雨は「つよくなるばかり」である。葛桜は見た目にも涼味を誘う菓子だから、すっきり晴れていてこその味なのに、降りこめられての葛桜はいわばミスマッチ。いっそう情けないような気分になって、降りしきる雨を恨めしそうに見やっている。さて、この店を出てからどうしようか……。私は雨男なので、似たようなことはしょっちゅう体験してきた。もはや、情けないとも感じなくなってしまった(苦笑)。今年の梅雨は長い。会社の暑中休暇を早めに取ったサラリーマンのなかには、こんなメにあっている人も多いのではなかろうか。逆に言えば、葛桜などを商っている人たちはもちろん、夏物商戦をあてこんでいた業者は大変である。東京の週間天気予報を見ると、晴れマークは来週の月曜日以降にしか出ていない。梅雨が明けると言われる雷も、鳴る気配すらない。やれやれ、である。なお、写真は「磯子風月堂」のHPより借用しました。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)




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