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September 1091997

 秋晴の踏切濡らし花屋過ぐ

                           岡本 眸

鉄沿線の小さな踏切を、花屋のリヤカーが渡っていく。線路の凸凹に車輪がわずかに踊って、美しい花々が揺れリヤカーから水がこぼれる。こぼれた水の黒い痕。それもすぐに乾いてしまうだろう。見上げると空はあくまでも高く、気持ちのよい一日になりそうだ。都会生活者のささやかな充足感を歌っている。読者もちょっぴり幸福な気分になる。『朝』所収。(清水哲男)


September 0991997

 脇ざしの柄うたれ行く粟穂かな

                           加藤暁台

台は十八世紀江戸期の俳人で元尾張藩士。粟は人の腰の丈より少し高いところくらいにまで生長するから、刀をさした者が粟の畑近くを歩けば、このような情景になる。なんだか時代劇の一場面を見ている気持ちにさせられるけれど、二百年前のこの国のまぎれもない現実なのだ。と、頭ではわかっても、やっぱり不思議な気持ちになる。ところで、粟は米よりも味があわいので「あわ」と言ったという説がある。薄黄色の粟餅は私の好物だったが、このところとんとお目にかかれない。五穀のひとつである粟も、作る人がいなくなってしまったのだろう。脇差はとっくに消え、粟もまた消えていく。時世というものである。(清水哲男)


September 0891997

 雁来紅や中年以後に激せし人

                           香西照雄

こで雁来紅は「かまつか」と読ませる。そのまま「がんらいこう」と読む場合もある。『枕草子』六七段に「雁の来る花とぞ、文字に書きたる」とあり、要するに葉鶏頭(はげいとう)のことである。職場の同僚だろうか。若いころから温厚で通ってきた人が、中年にいたって急に爆発的に怒りを表すようになった。彼に何が起きたのか。その怒りを色彩に例えると、雁来紅の少々黒味を帯びた紅色に似ているというのだ。「かまつか」という語感も「顔が真っ赤」に通じていて、句にいっそうの深みを添えている。寂しき中年よ。もちろんお互いに、だ。(清水哲男)




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