September 141997
女房は下町育ち祭好き
高浜年尾
なんとも挨拶に困ってしまう句だ。作者が虚子の息子だからというのではない。下町育ちは祭好き。……か、どうかは一概にいえないから困るのである。そういう人もいるだろうし、そうでない人もいるはずだ。たとえ「女房」がそうだったとしても、女子高生はみんなプリクラ好きとマスコミが書くようなもので、なぜこんなことをわざわざ俳句にするのかと困惑してしまう。祭の威勢に女房のそれを参加させてやりたい愛情はわからないでもないが、だったら、もっと他の方策があるだろうに。時の勢いで作っちまったということなのだろうか。この句のように「そうなんだから、そうなんだ」という類の句は、見回してみるとけっこう多い。しかもこういう句は、どういうわけか記憶に残る。そこでまた、私などは困ってしまうのだ。なお、俳句で単に「祭」といえば夏の季語で「秋祭」とは区別してきた。この厳密さに、もはや現代的な意味はないと思うけれど、参考までに。『句日記三』所収。(清水哲男)
July 162005
昔より美人は汗をかかぬもの
今井千鶴子
季語は「汗」で夏。ふうん、そうなんですか、そういう「もの」なのですか。作者自注に「或る人曰く、汗をかくのは下品、汗をかかぬのも美人の条件と」とある。なんだか標語みたいな俳句だが、ここまでずばりと断定されると(しかも女性に)、いくらへそ曲がりな私でもたじたじとなってしまう。そんなことを言ったって、人には体質というものもあるのだから……、などと口をとんがらせてもはじまるまい。そういえば、名優は決して舞台では汗をかかないものと聞いたことがある。なるほど、舞台で大汗をかいていては折角の化粧も台無しになってしまう。このことからすると、美人のいわば舞台は日常の人前なのだから、その意味では役者とかなり共通しているのかもしれない。両者とも、他人の視線を栄養にしておのれを磨いていくところがある。だからいくら暑かろうが、人前にあるときには、持って生まれた体質さえコントロールできる何かの力が働くのだろう。精神力というのともちょっと違って、日頃の「トレーニング」や節制で身につけた一種条件反射的な能力とでも言うべきか。高浜年尾に「羅に汗さへ見せぬ女かな」があるが、これまた美人の美人たる所以を詠んでいるのであり、そんな能力を備えた涼しい顔の女性を眼前にして驚嘆している。それも、少々あきれ加減で。「羅」は「うすもの」と読む。「俳句」(2005年7月号)所載。(清水哲男)
September 232011
デズニーに遊び小春の一と日かな
高浜年尾
このデズニーランドは本家本元。アメリカ、カリフォルニア州アナハイムにあり1955年に開園。年尾は1970年70歳のときにアメリカ旅行でここを訪れている。花鳥諷詠の俳人も遊園地を詠むんだな、70歳になっても遊園地に行くんだな、アメリカに行っても「小春」という季語を使うんだな、ディズニーと言わずデズニーと言ったんだな、そんなこんなも含めてこの俗調が持つ俳句の臭みにどこかやすらぎのようなものも感じる。日本の演歌やアメリカのカントリーウエスタンがどれも似たような歌詞やメロディーであることに安堵を感じるのと似ているような気がする。「一と日」も「かな」も諷詠的趣で対象とミスマッチな感があるがそこがまたなんともカワイイではないか。朝日文庫『高浜年尾・大野林火集』(1985)所収。(今井 聖)
January 152012
冬雲は静に移り街の音
高浜年尾
用があって、昨年の暮れに2週間ほどパリに滞在していました。緯度が高く、さぞ寒いだろうと思って、完璧な防寒をして向かいました。しかし、行ってみればさほど寒くはなく、あたたかいと言ってもいいような日もありました。その2週間、ほとんどの日が朝から厚い雲に覆われ、青空を仰ぐことが出来たのはたったの数日でした。日本に帰ってまず感じたのは、「なんと明るく日の降り注いでいる冬だろう」ということでした。ですから、本日の句を読んだ時に頭に浮かんだのは、パリで過ごした日々でした。何百年も建ち続けている、胸苦しくなるほどに彫りもので飾られた街の上を、うっとりと見下ろすように雲が動いてゆく。空の「静」と、地上の「音」の対比が、冬の中に鮮やかに並んでいます。視野の大きな、読んでいると自然に、伸びやかな心持になります。『日本大歳時記 冬』(講談社・1981)所載。(松下育男)
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