1997ソスN9ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1491997

 女房は下町育ち祭好き

                           高浜年尾

んとも挨拶に困ってしまう句だ。作者が虚子の息子だからというのではない。下町育ちは祭好き。……か、どうかは一概にいえないから困るのである。そういう人もいるだろうし、そうでない人もいるはずだ。たとえ「女房」がそうだったとしても、女子高生はみんなプリクラ好きとマスコミが書くようなもので、なぜこんなことをわざわざ俳句にするのかと困惑してしまう。祭の威勢に女房のそれを参加させてやりたい愛情はわからないでもないが、だったら、もっと他の方策があるだろうに。時の勢いで作っちまったということなのだろうか。この句のように「そうなんだから、そうなんだ」という類の句は、見回してみるとけっこう多い。しかもこういう句は、どういうわけか記憶に残る。そこでまた、私などは困ってしまうのだ。なお、俳句で単に「祭」といえば夏の季語で「秋祭」とは区別してきた。この厳密さに、もはや現代的な意味はないと思うけれど、参考までに。『句日記三』所収。(清水哲男)


September 1391997

 草いろいろおのおの花の手柄かな

                           松尾芭蕉

来、梅や桜などの木の花は春、草の花はこの季節に多く咲くので秋のものとされてきた。したがって、この句の季語はそのように書かれてはいないが、「草の花」として秋の部に分類すべきだろう。句意は明瞭。草の種類は有名無名さまざまだけれど、それぞれの草がそれぞれに立派に花を咲かせている姿が見事だということである。ニュアンス的には、名も無き花に贔屓している。植物に「手柄」を使ったところも面白い。この言葉は武勲に通じるのでいまでは敬遠されがちだが、芭蕉の時代には、もっと幅広い含みがあったようだ。『笈日記』所収。(清水哲男)


September 1291997

 朝顔の紺の彼方の月日かな

                           石田波郷

郷二十九歳の作品だが、既に老成したクラシカルな味わいがある。句のできた背景については「結婚はしたが職は無くひたすら俳句に没頭し……」と、後に作者が解説している。朝顔の紺に触発されて過ぎ去った日々に思いをいたしている。と、従来の解釈はそう定まっているようだが、私は同時に、未来の日々への思いもごく自然に込められていると理解したい。過去から未来への静と動。朝顔の紺は永劫に変わらないけれど、人間の様子は変わらざるを得ないのだ。その心の揺れが、ぴしりと決まった朝顔の紺と対比されているのだと思う。『風切』所収。(清水哲男)




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