1997ソスN9ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1791997

 はせ川の河童屏風の雨月かな

                           竜岡 晋

せ川は料理屋の名前。親しい友人たちとしめしあわせて、月見で一杯と洒落れこんだ。奮発して、上等の部屋を予約した。……が、あいにくの雨。月見どころか、肌寒くて窓も開けられない。気がつくと、屏風には雨を喜ぶ河童の絵だ。「河童じゃあ、雨も当たり前さ」と、誰かが苦笑する。「俺たちは、いつもこうなる」と、誰かがボヤく。さりげない場面だが、大人の味が滲み出ている。そこらへんの俳句小僧には、作れそうで作れない句だ。ちなみに「雨月(うげつ)」は、雨のためにせっかくの名月が見られないことをいう。(清水哲男)


September 1691997

 父がつけしわが名立子や月を仰ぐ

                           星野立子

は虚子。自分の名前に誇りを抱くことの清々しさもさることながら、父への敬愛の念をこれほど率直に表現した句も珍しい。直接に仰ぐのは月であるが、この月はまた天下の虚子その人なのである。臆面もないと感じる読者がいるかもしれぬ。が、父のつけてくれた名前にかけて凛とした人生を生きていくという気概が、そうしたいぶかしさを撥ね除ける句だと、私には思われる。月を仰ぐ人には、人それぞれの感慨がある。『立子句集』所収。(清水哲男)


September 1591997

 老人の日といふ嫌な一日過ぐ

                           右城暮石

じめは「としよりの日」(昭和26年制定)といった。それが「老人の日」(昭和39年)となり「敬老の日」(昭和41年)となった。しかし「敬老の日」とは、いかにも押し付けがましい。国家が音頭をとって「尊敬」などと言い出し、ロクなことがあったためしはない。景気のよい時には地方自治体がお祝い金を出していたが、いまではつまらない式典だけになった。金の切れ目が縁の切れ目で、駆り出さなければ誰も来ない。私はまだ駆り出される年齢ではないが、作者と共に余計なおせっかいは「超」不快である。もちろん、いまや老人福祉の問題は国民的な課題だ。が、世間で行われている福祉の実態には、いつも式典的要素が介在するのは何故なのか。老人ホームでみんなでお歌を歌うなんてことも一例で、私なら、ほっといてくれと言うだろう。そんなことに「敬老精神」を発揮されたのではたまらない。しかも発揮する人々の多くが善意であるだけに、いっそうたまらないのである。このような「善意の愚劣」を、先輩諸兄姉よ、ここらで勇気を持って打ち砕くべきではないでしょうか。かつてロシアの文豪が、自逆的に言いました。「私は人類はいくらでも愛するが、隣の婆アはどうにも気にくわねえ」と。「善意の愚劣」の根拠でしょう。(清水哲男)




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