1997ソスN9ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1891997

 電車の影出てコスモスに頭の影

                           鈴木清志

く晴れた日の郊外の駅。少し肌寒いので、いま下りた電車の影から日向のほうに出て歩く。今度は自分の影が尾を引くことになり、見ると、ちょうどその頭のところでコスモスが風に揺れていたという情景だ。人の影の頭の部分は、時に矢印の役割を負う。ここで矢印はコスモスを指して、作者に「秋」を発見させたわけである。なんでもないような句だが、作者の感覚は実にシャープで、心地よい。スケッチ句のお手本である。(清水哲男)


September 1791997

 はせ川の河童屏風の雨月かな

                           竜岡 晋

せ川は料理屋の名前。親しい友人たちとしめしあわせて、月見で一杯と洒落れこんだ。奮発して、上等の部屋を予約した。……が、あいにくの雨。月見どころか、肌寒くて窓も開けられない。気がつくと、屏風には雨を喜ぶ河童の絵だ。「河童じゃあ、雨も当たり前さ」と、誰かが苦笑する。「俺たちは、いつもこうなる」と、誰かがボヤく。さりげない場面だが、大人の味が滲み出ている。そこらへんの俳句小僧には、作れそうで作れない句だ。ちなみに「雨月(うげつ)」は、雨のためにせっかくの名月が見られないことをいう。(清水哲男)


September 1691997

 父がつけしわが名立子や月を仰ぐ

                           星野立子

は虚子。自分の名前に誇りを抱くことの清々しさもさることながら、父への敬愛の念をこれほど率直に表現した句も珍しい。直接に仰ぐのは月であるが、この月はまた天下の虚子その人なのである。臆面もないと感じる読者がいるかもしれぬ。が、父のつけてくれた名前にかけて凛とした人生を生きていくという気概が、そうしたいぶかしさを撥ね除ける句だと、私には思われる。月を仰ぐ人には、人それぞれの感慨がある。『立子句集』所収。(清水哲男)




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