October 111997
死にごろとも白桃の旨き頃とも思ふ
河原枇杷男
花に見頃があるように、何につけ頃合いというものがある。だから、我々人間にも「死に頃」があってもよいわけで、老人が「そろそろお迎えが来そうだ」というとき、彼ないし彼女はそのことをひとりでに納得しているのだと思う。そしてこのことは、白桃が旨いという生きているからこその楽しさとは矛盾しない。作者はそういうことを言っている。一読難解のようにも見えるが、むしろ素朴すぎるほどの心情の吐露と言えるだろう。永田耕衣門。『河原枇杷男句集』(1997)所収。(清水哲男)
October 101997
大漁旗ふりて岬の運動会
小田実希次
漁村の運動会とは、こういうものなのだろう。私が育った農村でも、大漁旗こそなかったけれど、村をあげてのお祭り気分という意味では同じであった。なにしろ小学校の運動会を見ながら、大人たちは酒を飲んでいたのだから、いまだったら顰蹙ものである。私はといえば、走るのが遅かったから運動会は嫌いだった。雨が降りますようにと、いつも念じていた。私の運動感覚はかなり妙で、野球は死ぬほど好きなくせに、走ったり飛んだりするのはおよそ苦手である。遺伝的にいうと、母は女学校時代に神宮で走ったことがあり、父はまったくのスポーツ嫌いだ。だから神様はナカを取って私をこしらえたらしいのだが、いやはや迷惑至極なことではある。(清水哲男)
October 091997
柳散る銀座に行けば逢へる顔
五所平之助
何の取り柄もない句だが、そこが取り柄。秋風が吹いてくると、突発的発作的に人恋しくなるときがある。誰かに会いたい、ちょっとした話ができれば誰でもかまわない。そんなときに、酒飲みは常連として通っているいつもの酒場に足が向いてしまう。その場所がたまたま銀座だったというわけだが、銀座名物の「柳散る」が作者の心象風景を素朴に反映していて好もしい。五所平之助は『煙突の見える場所』(1953・椎名麟三原作)などで知られる映画監督。そういえば、この句には懐しい日本映画の一場面のような雰囲気もある。(清水哲男)
『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます
|