痛風と診断された。この病気を患った超有名人は『小公子』のおじいちゃんだ。




1997ソスN10ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 15101997

 缶詰の桃冷ゆるまで待てぬとは

                           池田澄子

誌「豈」1997年・夏『回想の摂津幸彦』特集号より。句は摂津への追悼句「夜風かな」の中の一句。摂津幸彦は昨年10月13日49歳で死去。将来の俳句界を担ったであろう、惜しみても余りある大器であった。この句は追悼句としては出色であろう。缶詰の桃(お通夜の席によくある)を使って、こんな追悼句ができるとは……。若くして死んだ故人への哀悼の気持ちが充分込められていて、しかも新鮮。なる程、こういう手があったのか。(井川博年)


October 14101997

 夜なべする大阪に音なくなるまで

                           浦みつ子

仕事だろうか、あるいは家計のための軽作業だろうか。とにかく、昔の人はよく働いた。夜の遅い時間を表現するにはいろいろとあるが、作者の発想はユニークである。夜中まで忙しい商都大阪の音がなくなるまでというのだから、夜も相当に更けていることがわかる。これが他の都市名だったら、ここまでの味わいは出ないだろう。「大阪に音なくなるまで」は、作者の実感だ。実感だから、少しも無理がないのである。ところで「夜なべ」という言葉、現代の子供たちにわかるだろうか。(清水哲男)


October 13101997

 野菊挿しゐて教室に山河あり

                           谷口美紀夫

聞の投句欄はなるべく読むようにしているが、なかなかコレという作品にお目にかかれない。やはり、新聞には「座」がないからだと思う。投句者もひとりなら、選者も孤独だ。お互いに素顔が見えないので、どうしても熱気に欠けてしまうのである。この句は昨日(1997年10月12日)の「朝日俳壇」金子兜太選第一席作品。兜太の評には「類想はあるが、叙述が独特なので紛れることはない。『教室に山河あり』の、正眼に構えた物言いが潔い」とある。その通りであり、私も好きになった。が、すぐに飽きてしまいそうなテクニックでもある。新聞俳句欄のレベルではいっぱいいっぱいの、善戦健闘句には間違いないけれど。(清水哲男)




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