October 171997
三田二丁目の秋ゆうぐれの赤電話
楠本憲吉
三田二丁目は慶応義塾大学の所在地だ。ひさしぶりに母校の近辺を通りかかった作者は、枯色のなかの色鮮やかな赤電話に気がついた。で、ふと研究室にいるはずの友人に電話してみようとでも思ったのだろうか。大学街でのセンチメンタリズムの一端が見事に描写されている。都会的でしゃれており、秋の夕暮の雰囲気がよく出ている。余談になるが、私の友人が映画『上海バンスキング』のロケーションの合間に彼地の公園でぶらついていたとき、人品骨柄いやしからぬ老人に流暢な日本語で尋ねられたそうだ。「最近の『三田』はどんな様子でしょうか」……。街のことを聞いたのではなく、慶応のことを聞いたのである。昔の慶応ボーイは大学のことを「慶応」とは言わずに「三田」と言うのが普通であった。(清水哲男)
November 131998
酒断って知る桎梏のごとき夜長
楠本憲吉
ウィスキー一本くらいは軽くあけていたというのだから、作者は相当の酒豪であった。ために肝臓を冒され、「断酒という苦界に追放」されてしまった。酒好きの読者には、解説など不要であろう。秋の「夜長」の実感が胸をついてくるようだ。他にも俳句ともつぶやきともつかぬ「酒飲めぬ街にやたらに赤信号」があり、これまた酒飲みの心にしみてくる。自嘲的自解に曰く。「私が胃をやられたとき、今はもう故人の伯父が、『可哀相になあ。「たこ梅」のカウンターでおでんを肴に熱燗一杯やる人生の楽しみが、おまはんにはのうなってしまいよった。』ということばが、いまさら実感として思い出される」。それでなくとも長い夜の季節を、作者はどうやり過ごしていたのだろうか。というわけで、ま、おたがい「ほどほどに」やりましょうや……。ただし、この「ほどほどに」という言葉を酒飲みが大嫌いなことを、酒を飲まない人は知らないのだから、世の中は厄介である。『自選自解・楠本憲吉句集』(1985)所収。(清水哲男)
September 092012
虫鳴いて裏町の闇やはらかし
楠本憲吉
酒の仲間と別れ、表通りをほろ酔い気分で歩いている。虫の音に誘われて、裏町に足を踏み入れると、闇は濃くやわらかい。この裏町には、私ひとりを招き入れてくれる隠れ家がありそうだ。裏町には人も棲んでいて、鉢植えもあるので、虫の寝床もあります。裏町の路地は、海でいうならカニやヤドカリが棲息できる入り江や磯に似て、表の世界で疲れたり、傷ついたりした男たちが、身をやすめに来られるところです。日本の都市の多くは、表通りと裏通りが平行しています。表通りが広い車道のオフィスビル街なのに対して、裏通りは車の入りにくい商店街や飲食街、それに民家も続いていて、都市のにぎわいを形成しています。たとえば銀座なら、昭和通りに平行し交わる路地は数十を越えますし、大阪なら、御堂筋に平行する心斎橋筋に活気があります。たぶん、街を楽しむということは、歩くことを楽しむということで、そのとき、虫の音や、闇のやわらかさを肌で感じとれるということなのでしょう。「日本大歳時記・秋」(1981・講談社)所載。(小笠原高志)
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