山茶花が咲きはじめた。しぶとく咲き続けていた百日紅の命運は尽きた。




1997ソスN10ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 19101997

 いとしさの椎の実飛礫とどかざり

                           竹本健司

礫は「つぶて」。男女何人かでのハイキング。好意を抱いている女性が前を歩いている。ちょっと驚かせてやろうと、椎の実を背中めがけて投げつけたのだが届かなかったというだけの句。女性の気を引くために、男はしばしばこういうことをする。髪の毛を引っ張って泣かせたりする小学生も、椎の実を投げつけてみる大人も、この点では変わらない。このとき「いとしさ」をどれほど自覚しているか。そのあたりが、子供と大人の別れ目なのだろう。(清水哲男)


October 18101997

 ぎんなんのさみどりふたつ消さず酌む

                           堀 葦男

杏で一杯やっている作者。その実のあまりの美しさに口に入れるのがだんだん惜しくなり、最後の二つは残しておいて、今度はその姿をサカナに飲みつづけている。たしかに銀杏はこの句のように美しいし、この酒も美味そうだ。平仮名表記が、銀杏の色彩と感触をよく表現している。どうですか、今夜あたり銀杏で一杯と洒落れこんでみては……。電子レンジがあれば、拾ってきた銀杏を適当な封筒に塩少々と混ぜて入れ、密封してチンすれば出来上がり。つまり、銀杏が封筒の中で爆発するわけです。知り合いの主婦から教えてもらった。(清水哲男)


October 17101997

 三田二丁目の秋ゆうぐれの赤電話

                           楠本憲吉

田二丁目は慶応義塾大学の所在地だ。ひさしぶりに母校の近辺を通りかかった作者は、枯色のなかの色鮮やかな赤電話に気がついた。で、ふと研究室にいるはずの友人に電話してみようとでも思ったのだろうか。大学街でのセンチメンタリズムの一端が見事に描写されている。都会的でしゃれており、秋の夕暮の雰囲気がよく出ている。余談になるが、私の友人が映画『上海バンスキング』のロケーションの合間に彼地の公園でぶらついていたとき、人品骨柄いやしからぬ老人に流暢な日本語で尋ねられたそうだ。「最近の『三田』はどんな様子でしょうか」……。街のことを聞いたのではなく、慶応のことを聞いたのである。昔の慶応ボーイは大学のことを「慶応」とは言わずに「三田」と言うのが普通であった。(清水哲男)




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