「神経質な展開になると本当に血の小便が出る」。株取引きの人に聞いた話。




1997ソスN10ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 30101997

 船員とふく口笛や秋の晴

                           高野素十

つてパイプをくわえたマドロスの粋な姿が大いにモテたのは、もちろん彼らが行き来していた外国への庶民の憧れと重なっている。片岡千恵蔵の映画「多羅尾伴内シリーズ」の「七つの顔」のひとつは「謎の船員」であったし、美空ひばりなどの流行歌手も数多くのマドロス物を歌っている。戦前、素十は法医学の学徒としてドイツに留学しているから、この句はその折の船上での一コマかもしれない。船員といっしょに吹いたメロディーは望郷の歌でもあったろうか。秋晴れの下の爽快さを素直に表現しているなかに、充実した人生への満足感が滲み出ている。そういえば最近は、口笛を吹く人が減ってきたような気がする。私の住居の近辺に、休日ともなると機嫌よく口笛を吹きながら自転車の手入れする少年がいる。救いがたいほどの音痴なのだけれど、私はとても楽しみにしており、ヒイキしている。『初鴉』(1947)所収。(清水哲男)


October 29101997

 よい物の果てもさくらの紅葉かな

                           塵 生

生(じんせい)は江戸中期、加賀小松の商人。蕉門。商人らしく世事万端にわたっての増長を戒めている。春に美しい花を咲かせた桜も、秋にいちはやく紅葉するとすぐに散ってしまう。『新古今集』には「いつのまにもみじしぬらむ山ざくら昨日か花の散るを惜しみし」(具平親王)とあり、清少納言も『枕草子』に「桜の葉、椋の葉こそ、いとはやく落つれ」と書いている。人事的に言えば「おごる平家も久しからず」ということであり「盛者必滅」というわけだ。句としては間違っても上出来とは言えないけれど、古典を読むときのために桜紅葉の生態を覚えておくには絶好のフレーズだろう。(清水哲男)


October 28101997

 柿二つ読まず書かずの日の当り

                           小川双々子

の日差しを受けて、二つだけ木に残った柿の実が美しく輝いている。それなのに、作者はといえば本を読む気にもなれないし物を書く気力もない。そんな情けない日(「日」は「日差し」にかけてある)を浴びながらも、柿はけなげに自己を全うしつつあるのだという感慨。しかし、この無為を悔いる気持ちは、あまり深刻なものではないだろう。軽口で言う「空は晴れても心は闇だ」という程度か。というのも「柿二つ」は「読まず書かず」に対応していて、このあたりに遊び心を読み取れるからだ。この明るさと暗さを対比させる方法は、キリスト者である作者初期の段階から始まっている。『異韻稿』(1997)所収。(清水哲男)




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