November 041997
空がまだ濁らぬ時刻小鳥くる
大庭三千枝
秋の夜明けは遅い。早起きの作者が待ちかねて窓を開けると、しらじらと明け初めた空の一角には、もう小鳥たちが飛んでいる。同じ冷気のなかにある人と小鳥。「おおい、おはよう……」と声をかけたくなるような親愛感が湧いてくる。人も車も動きださない時刻の空は、あくまでも透明で爽やかだ。さりげない情景だが、秋の早朝の気分をよくとらえていて、好もしい。早起きの人には、とりわけてよい句に思えるだろう。ところで、この句の季語は何でしょうか。「小鳥来る」が秋の季語であることを知らない人は、けっこう多いと思います。小鳥なんて、いつだって来るからです。このあたりが季語の厄介なところですが、俳句の世界では、昔から秋に渡ってくる小鳥たち(つぐみ、ひわ、あおじ等)に限定して使ってきました。他の季節の小鳥と違い、群をなして飛ぶ様子が印象的だからなのでしょう。『花蜜柑』(1997)所収。(清水哲男)
April 122000
次の樹へ吹き移りゆく杉花粉
右城暮石
敗戦後の一時期は、全国的に杉の木の植樹奨励時代でした。小学生だった私たちも授業の一環として、よく山に出かけて植えさせられたものです。そんなわけで、私などは四囲を杉に囲まれて育ちました。「杉の花」(春の季語)は花としては地味ですが、花粉の飛ぶ様子には凄いものがあります。風が吹くと、さながら煙のように飛散し移動し、この句はよくその様子をとらえています。圧倒的な飛散の光景は、まさに「吹き移りゆく」というしかありません。しかし、この様子がまさか後になって、「花粉症」なるアレルギー症状を引き起こすなど想像の埒外でした。幸いにも、私は花粉症とは無縁で来ていますが、周囲には今春になって突然発症した人もいて、お気の毒です。最近の歳時記のなかには、季語として「花粉症」を独立した項目に登録している本もありますし、句も数多く作られるようになってきました(当歳時記では「杉の花」の小項目に分類)。花粉症の方は見るのもいやかと思いますが、例句を二句あげておきます。「七人の敵の一人は花粉症」(伊藤白湖)、「花婿がよもやの花粉症なりし」(大庭三千枝)。いずれも、花粉症ではない作者が戸惑っている図ですね。『新日本大歳時記・春』(2000・講談社)所載。(清水哲男)
『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます
|