November 111997
何もせぬごとし心の冬支度
三橋敏雄
なるほど。心の冬支度だから、外見には現れないわけだ。冬が迫ってくると、たしかに心は緊張の度を増す。たとえばスキーやスケート、あるいは猟などが大好きな人はべつにして、戸外での活動が衰え、どうしても内面的な生活に比重がかかってくるからだろう。暖房設備の乏しかった昔に比べて、現今の「目に見える」冬支度のあわただしさは減少したが、それだけ「心」の支度は膨張してきたようでもある。冬の夜は、とりわけ寒くて長い。この長い夜の時間を活用して、何事かをなしとげようと心の準備に入っている読者も多いことだろう。それにしても「心の冬支度」とは、誰にでもすらりと発想できそうであるが、実はなかなか出てこない概念だと思う。作者ならではの独特な心の動きだ。「俳句」(1997年1月号)所載。(清水哲男)
October 312006
しつかりとおままごとにも冬支度
辻村麻乃
広辞苑によると「ままごと」とは「飯事」と書き、子供が日常の生活全般を真似た遊びとある。ママの真似をするから「ままごと」なのかと思っていたが、遊びとしては江戸時代から貴族の子供は塗り物の道具、庶民の子供は木の葉や紙の道具、と昔から広く楽しまれていたようだ。ままごとで使うものは生活環境によってさまざまである。わたしは公園よりも、実家が持っていた印刷や製本の工場の裏で遊ぶことが多かった。インテル(活字の隙間に詰める薄い板)を使って雑草を刻み、古くなった文選箱(選んだ活字を入れる箱)に盛りつける。つぶれた活字をもらっては、椿の葉に刻印し「こういうものでございます」などと、大人たちに自慢気に配っていたことも思い出す。子供による日常生活の再現は、はたから見ていると驚くべき観察力であることがわかる。母親の口癖や、父親の態度など、はっと我が身を正す機会にもなったりもする。ほらコートを着ないと風邪をひきますよ、さぁおふとんを干しましょう。掲句のかわいらしいお母さんたちは一体どんな冬支度をしていたのだろう。「をかしくてをかしくて風船は無理」「足元に子を絡ませて髪洗ふ」などにも、体当たりで子育てをしている若い母親の姿が浮かぶ。『プールの底』(2006)所収。(土肥あき子)
December 092009
悪性の風邪こじらせて談志きく
高田文夫
新型インフルエンザの蔓延で、ワクチンの製造が追いつかない昨今、病院も学校も電車でもマスク姿があふれかえっている。学校の学級閉鎖も深刻だ。例年インフルエンザでなくとも、風邪がはやる冬場。まして暮れのあわただしい時季に風邪をこじらせてしまってはたまらない。文夫はくっきりした口跡の持ち主だが、悪性の風邪をこじらせても、贔屓の立川談志の高座は聴きに出かけなくてはならない。つらい状況の句だけれど、「談志きく」の下五で救われて笑いさえ感じられる。談志の声は美声ではない。あの声だ。数年前「立川流二十周年」の会で、志の輔の後に高座にあがった談志が、開口一番「こんなに声の悪いやつがつづいていいのかね」と真顔で呟いて、客席をひっくり返したことがあった。志の輔は「談志の声は悪くない」と言っているが、まあ、ふたりともガラガラ声だ。どちらかと言えば「悪い声」ということになるだろう。もっとも芸人の場合、いわゆる美声が必ずしもプラスになるとは限らない。風邪をこじらせれば熱も出るだろうし、のどをやられればガラガラ声にだってなる。そんな状態でも、談志のガラガラ声を聴きに出かけるというブラック・ユーモアに、文夫らしさがにじんでいる。ちなみに文夫は立川流Bコース(著名人)の真打で、高座名は「立川藤(とう)志楼」。本格的に高座で落語を演じることも珍しくない。文夫の風邪の句に「風邪ひとつひいて女郎の冬支度」がある。『平成大句会』(1994)所収。(八木忠栄)
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