今年も母から庭の柿が届いた。「近所の人に穫ってもらった」との添え書きあり。




1997ソスN11ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 16111997

 黄落やジーンズ家族に空の青

                           藤田直子

ながら、この季節の家庭雑誌の表紙絵のようだ。晴れた日の昼下がり、ジーンズ姿の一家四人(とは書いてないけど)が黄落する山道か公園を歩いている。真青な空を背景に、黄色い木の葉がときおり舞い落ちてくる。おだやかな小春日の、なんでもない一齣だが、この種の記憶は案外いつまでも残るものなのだ。ひょっとすると「黄落」は「行楽」にかけられているのかもしれない。そう読むと、ちょっと怖い。この一家のささやかな幸福感も、やがては枯れて散りはててしまうことを、作者が予感していることになるからだ。でも、たぶんこれは深読みだろう。字面通りに素直に受け取っておくほうが楽しいし、精神衛生的にもよろしいと思う。余談だが、一年中ジーンズで通している私には、俳句にジーンズが出てくるだけで、単純に嬉しくなってしまうところがある。『極楽鳥花』(1997)所収。(清水哲男)


November 15111997

 花嫁を見上げて七五三の子よ

                           大串 章

五三の子と花嫁が神社で鉢合わせ。着飾った小さな子供たの間でだからこそ、花嫁はひときわ目立つだろう。子供の目にも異質とうつるのだろうか、千歳飴を引きずるようにしてポカンと見とれている姿が可愛らしい。そこをすかさずスナップした作者の目もハンパじゃない。ちなみに、千歳飴は親戚などへの配り物にするのが本来で、子供が自分で舐めるものではありません。ところで、大串君も私も、七五三の頃は戦争の渦中にあった。七五三という行事があることさえ知らなかった。しかし、そんななかでもちゃんと七五三を祝ってもらった友人もいて、写真を見せてもらったら、軍服姿でひどく緊張していた。『朝の舟』(1978)所収。(清水哲男)


November 14111997

 小春日のをんなのすはる堤かな

                           室生犀星

全体が春の日のようにまろやか。女も土手も、ぼおっと霞んでいるかのようだ。平仮名の使い方の巧みさと二つ重ねた「の」の効果である。とくに旧仮名の「をんな」が利いている。新仮名の「おんな」では、軽すぎてこうはいかない。ところで、八木忠栄の個人誌「いちばん寒い場所」(24号・1997年11月)の表紙に、犀星のこんな文章が引用されていた。「『一つ俳句でもつくって見るかな』といふ軽快な戯談はもはや通らないのである。『俳句は作るほど難しくなる』といふ嘆息がつい口をついて出てくるやうになると、もう俳句道に明確にはいり込んでゐるのだ。どうか皆さん、『俳句でも一つ作って見るか』などといふ戯談は仰有らないやうに、そして老人文学などと簡単に片づけてくださらないやうに」。「俳句道」には恐れ入るが、言いたいことはよくわかる。上掲の句は『遠野集』所載。(清水哲男)




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