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November 18111997

 雑炊に蟹のくれなゐひそめたり

                           山田明子

の作品は角川版『俳句歳時記』(1974)に載っていて、当時読んですぐに好きになった句だ。ちなみに、現在出ている新版からは、残念なことに削られてしまっている。作者については何も知らないが、心根の美しい人であるに違いない。料理屋などが出す雑炊はちゃんと米から仕立てるので、もとよりそれなりに美味ではある。が、家庭ではこの場合のように余ったご飯を雑炊にするのが普通だから、ちらりと蟹の脚(これも余り物)をひそませておく心づかいは、また格別のおいしさに通じるだろう。どんな料理の味も、料理人の機転が左右する。その機転に押しつけがましさのない愛情が加わったとき、たかが雑炊(おじや)といえどもが、至上のご馳走になるのである。この句は、雑炊を食べたい気持ちよりも、むしろ作ってみたい気持ちを起こさせてくれる。(清水哲男)


November 24112000

 霜の夜のミシンを溢れ落下傘

                           永井龍男

争末期の句。「大船某工場にて」とあり、この「某」は軍事機密ゆえの「某」である。作者は文藝春秋社の編集者だったから、取材のために訪れたのだろう。霜の降りた寒い夜、火の気のない工場では、「女工」たちが黙々と落下傘の縫製に追われている。ミシンの上に溢れた純白の布が目に染みるようであり、それだけに一層、霜夜の寒さが身をちぢこまらせる。「ミシンを溢れ」は、実に鮮やかにして的確な描写だ。一世を風靡した軍歌『空の神兵』で「藍より青き大空に大空に、たちまち開く百千の、真白き薔薇の花模様」と歌われた「落下傘」も、こんなふうに町の片隅の工場で、一つ一つ手縫いで作られていたわけである。ところで、往時の作者の身辺事情。「収入皆無の状態のまま、応召社員の給与、遺家族に対する手当支給などに追われた。空襲は頻度を増し、私の東京出勤もままならなかった」。そして、同じ時期に次の一句がある。「雑炊によみがへりたる指図あり」。文字通りの粗末な「雑炊」だが、やっと人心地のついた思いで食べていると、ふと会社からの「指図(さしず)」がよみがえってきた。すっかり、失念していたのだ。食べている場合じゃないな。そこで作者は、「指図」にしたがうべく、食べかけた雑炊の椀を置いて立ち上がるのである。この句は、戦中を離れて、現代にも十分に通じるだろう。なにしろ「企業戦士」というくらいだから……。『東門居句手帖・文壇句会今昔』(1972)所収。(清水哲男)


July 1272003

 かはほりや夕飯すんでしまひけり

                           清水基吉

語は「かはほり」で夏。蚊を欲するから「かはほり」と言ったようだ。発音が転じて「蝙蝠(こうもり)」に。私の子供のころは、夕方になると盛んに飛んでいた。夏の日は長い。それぞれの事情に合わせて、各家庭の夕食の時間はほぼ一定しているから、作者の家のように「夕飯」がすんでも、夏場にはまだ明るいということが起きる。私にも経験があるけれど、この明るさにはまことに中途半端な気持ちにさせられてしまう。夕飯が終われば、一日が終わったも同然だ。しかし、表はなお明るくて、終わったという気になることができない。まことに頼りなく所在なく、ぼんやりと「かはほり」の飛び交う様子でも眺めているしかないような時間帯となる。この不思議なからっぽの時間帯のありようを、句は誰にも見えるような空間に託して、さりげなく述べている。見事なものだ。テキストのみからの解釈ではこれでよいと思うが、句集の構成からすると、この句が敗戦直後に作られていることがわかる。となれば、句の「夕飯」の中身にも自然に思いが及んでいく。決して楽しんで食べられる中身じゃなかったはずだ。同じ作者の戦争末期の句には「飯粒の沈む雑炊捧げ食ふ」がある。粗食も粗食、米粒を探すのが大変という食事では、楽しむも何もないだろう。テキストのみから受ける印象に、あっという間に食べ終わった粗末な夕食と、やり場の無い心の空しさとを付け加えて鑑賞してみると、戦後庶民の茫然自失ぶりがひしひしと迫ってくる。ちなみに作者は、敗戦の年の芥川賞受賞作家だ。だが、受賞したからといって、暮らし向きが好転するような時代ではなかったこともわかる。『宿命』(1966)所収。(清水哲男)


November 25112012

 海暮れて鴨のこゑほのかに白し

                           松尾芭蕉

享元年(1684)旧十二月中旬。『野ざらし紀行』の旅中、尾張熱田の門人たちと冬の海を見ようと舟を出した時の句です。この句の評釈をいくつか読んできた中に、『「鴨の声が白い」と、音を色彩で表現しているところに新しさがある』という考察があります。現在注目されている視覚と聴覚の共感覚を援用する考え方もあり、ナルホド、と一応理解はできるのですが腑に落ちません。まず、「鴨の声が白い」ということがわかりませんし、そう解釈するなら、中句と下句が主語と述語の関係になり、五・五・七の破格が凡庸になります。むしろ、五・五・七には必然性があり、舟を出して詠んでいるその実情に即して読みたいです。「海暮れてほのかに白し鴨のこゑ」ではなく、「海暮れて鴨のこゑほのかに白し」にした理由は、時系列の必然性にあるのではないでしょうか。港から舟をこぎ出すほどにだんだん海は暮れてきて、遠方は闇の中に沈んでゆく。すると、沖の方から鴨の声が聞こえてきた。その声の主の方を凝視していると、暗闇に目が慣れてきて、「ほのかに」白いものが見える。あれは、翼か雲か幽かな光か。「こゑ」を聞いたあとに、しばらく目が慣れるための時間が必要であり、目で音源を探っている、その、時の経過を形容動詞「ほのかに」で示しているように思います。このように読むと、嘱目の句であり、五・五・七の破格にも必然性が出てくると思うのですがいかがでしょうか。なお、世阿弥は『花鏡』の中で、「幽玄」とは、藤原定家の「駒止めて袖打ち払ふ陰も無し佐野の渡の雪の夕暮」にあると説いています。この歌には「幽玄」の三要素が描かれているように思われます。それは、輪郭が曖昧で、奥行きのある、白黒の世界ということです。雪が降っている夕暮れなので色彩は白黒で輪郭が曖昧になり、川の渡しですから奥行きもあります。掲句の芭蕉は、幽玄という中世の美意識を念頭に置いていたかどうか、定かではありません。それでも、「海暮れて鴨のこゑほのかに白し」は、奥行きのある輪郭が曖昧な白黒の世界を、鴨の声が気づかせてくれています。『芭蕉全句集』(講談社)所収。(小笠原高志)


January 1212014

 親しきは酔うての後のそば雑炊

                           吉村 昭

しい友と気がねなく盃を酌み交わし、いい感じで酔いが回った最後のしめにそば雑炊を注文する。これは、ある程度年かさのいった男達の句である。女子会ならば、しめにはデザートを注文するだろう。しかし、おじさん達は気もちよく飲むと、そば雑炊のようなしめを欲する。これは、生理的な欲求に近い。皆、一致団結してそば雑炊を注文し、ずるずる音をたててかき込み、男達の飲み会はお開きになるのである。だから、下腹も出てくるだろう。新年会のシーズンである。当方もしめはそば屋であった。それにしても、そば雑炊とは贅沢だ。自分で作ってもみたいが、これは、品のよい料理屋で出てくる一品だろう。なお、優れた小説を数多く残した吉村昭は、学習院大学時代、岩田九郎先生の「奥の細道」の授業中、「今日もまた桜の中の遅刻かな」と書いた紙を教壇の机に置いたというエピソードを、奥方の津村節子が書いている。岩田先生は、むしろご機嫌だったとも。「炎天」(2009)所収。(小笠原高志)




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