November 181997
雑炊に蟹のくれなゐひそめたり
山田明子
この作品は角川版『俳句歳時記』(1974)に載っていて、当時読んですぐに好きになった句だ。ちなみに、現在出ている新版からは、残念なことに削られてしまっている。作者については何も知らないが、心根の美しい人であるに違いない。料理屋などが出す雑炊はちゃんと米から仕立てるので、もとよりそれなりに美味ではある。が、家庭ではこの場合のように余ったご飯を雑炊にするのが普通だから、ちらりと蟹の脚(これも余り物)をひそませておく心づかいは、また格別のおいしさに通じるだろう。どんな料理の味も、料理人の機転が左右する。その機転に押しつけがましさのない愛情が加わったとき、たかが雑炊(おじや)といえどもが、至上のご馳走になるのである。この句は、雑炊を食べたい気持ちよりも、むしろ作ってみたい気持ちを起こさせてくれる。(清水哲男)
『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます
|