現代詩花椿賞パーティ。たまに詩人に会うと気が休まる。頻繁に会うと動転する。




1997ソスN11ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 21111997

 ベッド組み立てて十一月の雨

                           皆吉 司

集のあとがきを読むと、新居を構えて間もないころの作品だ。作者の家が放火で焼かれ、一年間ほどの仮住まいの後の新居である。注文しておいたベッドが届いたのは、あいにくの雨の日だ。それでも細目に窓を開けて、組み立てていく。ベッドの枠や脚のパイプも冷たいが、外の雨も冷たい。ようやく組み立て終ってみると、ベッドはにわかに暖かい雰囲気になる。雨はあいかわらず冷たそうに降っているけれど、部屋のなかにいる作者は逆に暖かい心持ちになっている。ささやかな仕事を終えた充実感に満たされている。このとき、作者は二十代前半。雨とベッドの対比も若々しい。『ヴェニスの靴』(1985)所収。(清水哲男)


November 20111997

 疲労困ぱいのぱいの字を引く秋の暮

                           小沢昭一

集『変哲』(1992年・三月書房)より。90年の作。いやあ、よくわかるなあ、この気持ち。実は評者も目下、経済不如意、痛風持ちの上に、先頃自転車で転んで手をつき指し、直ったら今度は中耳炎の再発で右耳が良く聞えない、という散々な状態なのです。そして同じように「ぱい」の字がわからないので、老眼鏡を掛けて字引を引いたという次第。疲労困憊。本来は今は初冬で秋の暮ではないのだが、今年は変に暖かく、まだ冬には早い感じ。でもすぐ冬になるのだ……、やれやれ。「変哲」は小沢昭一の俳号。この句集は中高年のオジサンにとっては、実にアリガタイ句集です。(井川博年)


November 19111997

 汽車の胴霧抜けくれば滴りぬ

                           飴山 實

和29年の作品。いわゆるSLである。なんとなく「生き物」という感じがしたものだ。いまの新幹線などは点から点へ素早く冷静に移動させてくれる乗り物でしかないが、昔の機関車は私たちをエッチラオッチラ一所懸命に運んでくれているという感じだった。汽笛にも「感情」がこめられているようだった。したがって、この句は客観写生句ではあるけれど、読者にはどこかでそれを越えた作者のねぎらいの心が伝わってくるのである。まだ観光旅行もままならず、乗客がみなよんどころのない事情を抱えていた時代の汽車は、いわば数々の人間ドラマを運んでいたわけで、それだけにいっそう神秘的にも見えたのだろう。同じ作者の前年の作に、敦賀湾で詠んだ「冬の汽笛海辺の峠晴れて越す」がある。『おりいぶ』(1959)所収。(清水哲男)




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