野菜やパンの包装は無駄と京都会議の外国人。パソコン・ソフトのそれは大無駄。




1997ソスN12ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 05121997

 夜話や猫がねずみをくはえゆく

                           瀧井孝作

語は「夜話」。最近の歳時記では割愛されているが(私のワープロソフトでは「よばなし」と信号を送ってやると、ちゃんと「夜話」と出てくる。ソフト制作者も、ずいぶん古い言葉を知っているものだ)、「夜話(夜咄)」は冬の炉端でのくつろいだ談話のこと。長く寒い冬の夜には、炉辺談話もご馳走である。話し好きの友人が訪ねてきて、漬物か何かで一杯やりながら話に興じている傍らを、音もなくねずみをくわえた猫が通り過ぎていった。いまの家庭だったら絶叫ものだろうが、こんなことは昔は日常茶飯事だから、誰も驚かない。そんな猫をちらりと横目にしながら、何事もなかったように話はつづいていくのである。悠然と闇に消える猫。外では、小雪がちらついている。(清水哲男)


December 04121997

 雪雲を海に移して町ねむる

                           八木忠栄

国育ちの現代詩人の句。同じ作者に「ふるさとは降る雪の底母の声そ」という望郷の一句があり、豪雪の地であることが知れる。昼間いやというほどに雪を降らせた雲も、ようやく海上に抜けていった。いまは雪に埋もれた静寂のなかで、愛すべき小さなわが町は眠りについている……。「海に移して」というスケールの大きな表現が利いている。人が抗うことなどとても不可能な大自然への畏敬の念が、「町ねむる」にさりげなく象徴されているのだと思う。今夜も日本のどこかで、このようにねむる町があるだろう。海は出てこないけれど、にわかに『北越雪譜』(鈴木牧之)が読みたくなった。江戸期の雪国のすさまじい雪の話がいくつも出てくる。八木忠栄個人誌「いちばん寒い場所」(1997・24号)所載。(清水哲男)


December 03121997

 寒雀子規全集に夜明けたり

                           田川飛旅子

規全集を読み耽っているうちに、しらじらと夜が明けてきた。朝の早い雀たちが、もう庭に来て元気に鳴いている。勉強をした後の充実感。全集の名前をかえれば、これに近い経験はまたこの句の読者のものでもある。それにしても、夜通し本を読み続けられたのは、何歳くらいまでだったろうか。四十代に入ると、たとえ遊びでも徹夜がきかなくなったことを覚えている。その代わりに、雀たちと同じ時間に起きられるようにはなったけれど……。ところで、せっかくの句の雰囲気をぶちこわすようだが、この時期の雀は実に美味である。田舎にいたころは、竹の弾性を利用した罠で捕獲して、毎日のように焼き鳥にして食べていた。そんな具合だったから、雀の様子に風流心など持てるはずもなかった。(清水哲男)




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