クリスマス商戦の街が例年より暗い感じだ。気のせいなのか、本当にそうなのか。




1997ソスN12ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 07121997

 十二月まなざしちらと嫁ぎけり

                           中尾寿美子

二月に結婚式を挙げるカップルは少ないだろう。短くない私の人生でも、一度も出合ったことがない。相手方の急な転勤話など、よほどの事情でもないかぎり、この忙しい時期の結婚式は顰蹙をかうことになる。この句の場合はどうなのだろうか。その事情のほどは、花嫁の「まなざしちらと」に万感の思いとして秘められている。もちろん、作者には事情が飲み込めているのだろう。たぶん、列席者も多くはない淋しい式である。だからこそ、花嫁にはより幸せになってほしいと、作者は切に願っているのだし、共に句の読者もそう思うのだ。(清水哲男)


December 06121997

 膳棚へ手をのばしたる火燵かな

                           温 故

戸期の句。膳棚は椀などの食器を置いておく棚のことで、火燵(こたつ・炬燵)に入ったまま、何かを取るために棚の方に思いきり手をのばしている図。作者ならずとも、誰しもがそんな経験を持つ。だから、誰もがこの句にニヤリとしてしまう。漫画の「サザエさん」にも、似たようなシーンがあったような気がする。誰が言い出したのか、火燵には「無性箱」なる異名もあったという。近頃では室内暖房の様子も昔とはだいぶ違ってきて、炬燵も過去のものとなりつつあるが、炬燵がなくなっただけ、人の動きは活発になっただろうか。活発になったとしても、一家団欒の場が失われたこととの<損得勘定>はどんなものだろう。柴田宵曲『古句を観る』(岩波文庫)所載。(清水哲男)


December 05121997

 夜話や猫がねずみをくはえゆく

                           瀧井孝作

語は「夜話」。最近の歳時記では割愛されているが(私のワープロソフトでは「よばなし」と信号を送ってやると、ちゃんと「夜話」と出てくる。ソフト制作者も、ずいぶん古い言葉を知っているものだ)、「夜話(夜咄)」は冬の炉端でのくつろいだ談話のこと。長く寒い冬の夜には、炉辺談話もご馳走である。話し好きの友人が訪ねてきて、漬物か何かで一杯やりながら話に興じている傍らを、音もなくねずみをくわえた猫が通り過ぎていった。いまの家庭だったら絶叫ものだろうが、こんなことは昔は日常茶飯事だから、誰も驚かない。そんな猫をちらりと横目にしながら、何事もなかったように話はつづいていくのである。悠然と闇に消える猫。外では、小雪がちらついている。(清水哲男)




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