December 271997
輪飾のすいとさみしき買ひにけり
皆吉爽雨
町角などのちょっとした空き地に、仮設された飾売の店が登場すると、歳末気分は一段と盛り上がる。クリスマス・セールでも同じことだが、私たちの生活感覚は、商売人の感覚によって染め上げられるところも大きい。飾売はたいてい盛大に焚火をし、大声で景気をつけている。買うつもりもないのだけれど、なんとなく吸い寄せられてしまうときがある。作者も、たぶんそんな気分だったのだろう。輪飾にしても注連縄にしても、清楚な美しさはあるが、華美なものではない。見ているうちに、歳末特有の感傷も手伝って、それらがふっと(すいと)淋しいものにも見えてくる。それで、買う気になったというわけだが、年の瀬の人の心の微妙な動きをとらえた名句だと言えよう。余談だが、中学時代に投稿していた「毎日中学生新聞」の俳句の選者が爽雨だった。毎週のように採ってもらったことを思い出す。現代俳人の皆吉司は、爽雨の実孫にあたる。はるばると来つるものかな。(清水哲男)
December 302003
注連賣の灯影のくらき店じまひ
宇佐美ふき子
季語は「注連売(しめうり・飾売)」。近くの吉祥寺の街に、ハモニカ横丁と呼ばれる一画がある。戦後にバラック建てではじまったヤミ市マーケットの雰囲気が、いまでも残っている。通りは人二人がやっと擦れ違えるほどの狭さで、両側に小さな洋品店や雑貨店、食堂や飲屋などが軒を連ねている。普段はひっそりとしているが、年の暮れともなると、にわかに活気づく。昔ながらの「年の市」の雰囲気があるからだろう。お年よりの客が多いけれど、最近では若者の姿も目立つようになってきた。ここの飾り売りは、花屋の狭い店先だ。なんとなく値段などを眺めていたら、年配の女性がやってきた。「今夜は、何時までやってるの」。と、店のおばさんが「遅くまで」とぶっきらぼうに答える。「遅くったって、何時までよ」。「さあ、何時までにしようかねえ」。すると傍らの客が「まあ、おばさんが眠くなるまでだな」。そんな案配に、くだんの女性客は笑いながら「しょうがないのねえ。じゃ、いま買っとく。今日は大安だからね」。つられて私も「そうか、大安か」と思い、買うつもりもなかった輪飾りを買ってしまったのだった。なんのことはない、客のほうが商売しているようなものである。帰ってから、この句を読んだ。そして、あのおばさん、そろそろ「店じまひ」の頃かしらんと、吹き抜けの横丁の暗い寒さを思った。『俳句歳時記・冬之部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)
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