i蜩ソ句

January 0111998

 霞さへまだらに立つやとらの年

                           松永貞徳

年にちなんだ句はないものかと必死に探していたら、貞徳にありました。貞徳は江戸初期の京の人。俳人にして歌人、歌学者。俳諧を文芸ジャンルとして確立した人です。エラい人なのですが、この句の出来はどうでしょうか。うーむ。かなり苦しい。おだやかな元日の朝、遠くの山々には霞がたなびいており、それが寅のまだら模様に見える。霞までが、寅の年を祝福しているようだ……。というわけですが、かなり無理をした比喩使いではないでしょうか。彼もまた、寅年にちなんだ句を必死に作ったのでしょう。必死と必死が三百年以上も経て偶会したのだと思うと、なんだか楽しい気分になってしまいました。季語は字面からいけば「霞」でしょうが、意味からすると「年立つ」で「新年」でよいと思います。(清水哲男)


February 0822006

 つまんとや人来人くる鶯菜

                           松永貞徳

語は「鶯菜(うぐいすな)」で春。小松菜、油菜、蕪の類で、春先に10センチほど伸びたものを言う。作者は江戸初期の文人(1573―1653)。大変な教養人であり、その上に諧謔ユーモアを好んだので、狂歌俳諧の指導者としても名をなした。とりわけて俳諧の庶民化を目指して、全国津々浦々にまで五七五を普及させた功績は大きい。門下生は無数。掲句は、いかにも早春らしい句だ。たくさんの人が次々にやってくるのは、この「鶯菜」を摘もうとしてであろうか。みんな、春を待ちかねていたのだなあ。と、おおよその意味はこうである。大概の読者はこう解釈するだろうし、私もそう思った。ところが、どっこい。貞門の句は一筋縄ではいかない。油断がならない。仕掛けがあるのだ。乾裕幸『古典俳句鑑賞』によれば、この句は『古今集』の「梅の花見にこそ来つれ鶯のひとくひとくといとひしもをる」(詠み人知らず)を踏まえているのだという。「梅の花を見るのが目的で来ただけなのに、鶯が『ひとくひとく』(人が来る、人が来る)と鳴いて、いやがっている、という意。『ひとくひとく』は鶯の鳴き声の擬声語だろう。貞徳の句は、この歌を踏まえて、ただの菜ならぬ鶯菜だから、人が摘みにやってきたのだろうよと言ったのである」。つまり『古今集』に通じていないと句の面白さはわからないわけで、俳諧の庶民化とはいうものの、どうやらそれが嵩じていわば「オタク的俳諧」に至っていったようだ。掲句が披講される。すると、多くの人が難しい顔をしているなかで、一人か二人だけがクスクスッと忍び笑いを洩らす。そんなシーンが浮かんでくる。貞徳の時代に生まれなくてよかった。(清水哲男)




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