1998蟷エ1譛医ョ句

January 0111998

 霞さへまだらに立つやとらの年

                           松永貞徳

年にちなんだ句はないものかと必死に探していたら、貞徳にありました。貞徳は江戸初期の京の人。俳人にして歌人、歌学者。俳諧を文芸ジャンルとして確立した人です。エラい人なのですが、この句の出来はどうでしょうか。うーむ。かなり苦しい。おだやかな元日の朝、遠くの山々には霞がたなびいており、それが寅のまだら模様に見える。霞までが、寅の年を祝福しているようだ……。というわけですが、かなり無理をした比喩使いではないでしょうか。彼もまた、寅年にちなんだ句を必死に作ったのでしょう。必死と必死が三百年以上も経て偶会したのだと思うと、なんだか楽しい気分になってしまいました。季語は字面からいけば「霞」でしょうが、意味からすると「年立つ」で「新年」でよいと思います。(清水哲男)


January 0211998

 初湯中黛ジユンの歌謡曲

                           京極杞陽

和44年の作。銭湯の初湯は江戸期から二日と決まっているが、これは元日の家庭での朝風呂だろう。機嫌よく口をついて出てきたのは、黛ジュンの歌謡曲だった。なぜ、歌謡曲なのか。もちろん、昨夜見たばかりの「紅白歌合戦」の余韻からである。曲目は「雲にのりたい」あたりだろう。作者の京極杞陽(本名・高光)は、明治41年に子爵の家の長男として生まれた。豊岡藩主十四代当主。つまり、世が世であればお殿様である。大正の大震災で家族全員を失うという非運に見舞われたが、血筋はあらそえないというべきか、どこかおっとりとした雰囲気の句の多い人だ。この句も名句とは言いがたいが、読者をホッとさせる暖かさがある。同じ初湯の句でも、小沢昭一の「まだ稼ぐのど温めん初湯かな」となると、少々せち辛い。殿様の呑気な句には負けている。『花の日に』(1971)所収。(清水哲男)


January 0311998

 まつかれてたけたくひなきあしたかな

                           作者不詳

年早々、頭の体操です。この句は、どう読んだらよいのでしょうか。時は戦国時代。元亀四年正月。浜松北方の三方ケ原で武田軍との合戦に破れ、浜松城に逃げ帰りシュンとしていた徳川家康のもとに、武田方よりこれみよがしに上掲の句が届けられた(昔の戦さは呑気なところがあった)。読んでみると、「松(松平=徳川)枯れて竹(武田)類なきあしたかな」とあり、要するに、これからは武田の天下なんだぞと書いてあった。家康にしてみれば、結局はこの敗戦が生涯唯一のものになるわけだから、その意気消沈ぶりもすさまじかったに違いない。そんな心境の彼に、句の追い討ちである。まいったなあ。落ち込んでいると、徳川方にも知恵者がいた。「殿、おそれながら……」と、彼は独自の読み方を披露してみせたのである。すなわち、「松枯れで武田首無きあしたかな」と。これで家康も元気になった。で、ここからが本題。いまだに東京などで門松の竹を槍のように尖らせているのは、このときの「武田首無き」という徳川方の解釈に由来している。武田の地元である山梨県や外様大名の支配下にあった土地では、門松の竹は節のところから水平に切り落として飾るのが普通だ。お宅は、どちらでしょうか。(清水哲男)


January 0411998

 四日はや過ぎたりただの冬の雨

                           中山純子

語は「四日」。一月四日のこと。ちなみに「元日」からはじまって「二日」三日」「四日」「五日」「七日」はすべて新年の季語である。「六日」はない。それほどに昔の正月の一週間は、毎日の変化があり、区別をすることができたのだろうし、その必要もあったと思われる。いまでも、普段の年なら「四日」は仕事始めだから、気分は三が日とは大違いだ。その意味では「四日」という季語は生きている。作者もそのことを言っており、仕事始めの嫌な雨に正月気分をすぱりと断ち切っているのだ。このように現実にすっと入っていけるのは、どうやら女性に特有の能力らしい。そこへいくと、男はだらしがなくて、アメが降ろうがヤリが降ろうが、なかなか正月気分から抜けきれないで、いつまでもグズグズしている。(清水哲男)


January 0511998

 重役陣初笑ひして散ることよ

                           榑沼けい一

事始めのオフィスでの一景。新年の挨拶が型通りに終り、重役陣がお互いに笑顔で散っていく。その笑顔もまた例年のように型通りなのであって、どうやら作者は彼らに好意を持てないでいるようだ。「初笑」の句というと、たいていは楽しい内容なのだが、この句は例外である。とくに今年のような不況の年に読むと、切なくなってしまう。今年は経営者の手腕がより問われる一方で、働く人たちの意識の改革も大いに迫られることになりそうだ。戦後の資本家は労働組合を骨抜きにすることにはなんとか成功したけれど、同時にみずからの骨もいっしょに抜いてしまった。例の不倫心中みたいなものである。これぞ、労働史上「初のお笑い」なのである。来年こそは楽しい「初笑」の句が掲載できますように……。(清水哲男)


January 0611998

 十二月あのひと刺しに汽車で行く

                           穴井 太

二月は極月とも言い、文字通りおし詰った一年の終りである。もう、あとがない。その切羽詰った時期に刺しに行かなければならない「あのひと」とは誰か? もちろん親兄弟や友人ではあるまい。ここは男性にとっての恋人か愛人か、はたまた人妻か? 「ひと」は「女(ひと)」。ヤクザっぽい出入りではなく色恋沙汰ととるべきだろう。道ならぬそれだとすればいっそう芝居がかってくる。ひとを刺すという物騒な行動が、汽車という幾分おっとりしてのどかな手段によっているのは、いかにも滑稽味があり、俳味さえ感じられて嫌味のない句となった。ベンツでも自転車でもピンとこない。句集『土語』(1971)所収。「吉良常と名づけし鶏は孤独らし」という名句を持つ骨太の作者は、97年の12月29日、71歳で亡くなった。(八木忠栄)


January 0711998

 掃きならし門松とりし跡と見ゆ

                           亀井絲游

松を取った跡とおぼしきあたりの土が、きれいに掃き清められている。その家の主人の人柄が思われるのと同時に、また長丁場となる今年への作者の緊張感も伝わってくる。正月の行事は、地方によって日取りが異なるので厄介だ。門松を取るのは、関東では六日、関西では十四日とされてきた。「仙台の四日門松」といって、江戸期の仙台では松の内は四日までだった。が、実際はどうなのだろうか。商店街などでは、もっと遅くなってから取るところもありそうだ。不用になった門松は、小正月に「どんどの火」で焼いたものだが、いまの都会では焚火もままならない。それでも、私の住む地域では、校庭などを使ってどんど焼きをする町内会もある。ただし、ダイオキシン警戒から、プラスチック製の飾り物は燃さないようにと呼びかけている。(清水哲男)


January 0811998

 なんとなく松過ぎ福神漬甘き

                           岡本 眸

せち料理や餅に飽きた頃のカレーライスは、新鮮な味がする。添えられた福神漬に、作者はこんなに甘い味だったのかと、感じ入った。普段、福神漬をことさらに味わって食べることはなかなかないけれど、この場合、作者はたしかに味わっているのである。そこで、なんとなく松の過ぎていった感じが、読者にもなんとなくわかるような気がしてきて微笑ましい。福神漬はむろん七福神を連想させる効果もあるわけで、作者に残るいささかの正月気分とも呼応している。それにしても、ありがたい七福神を漬物にしてしまったという「福神漬」の命名は大胆不敵だ。ちなみに福神漬の中身は、ダイコン、ナス、レンコン、ナタマメ、ウリ、シイタケ、シソの七種類。明治十八年(1885)創製の東京名産である。『冬』(1976)所収。(清水哲男)


January 0911998

 冬木立ばたりと人が倒れたり

                           柴崎昭雄

景かもしれないが、私は想像した光景と読んだ。そのほうが面白い。枯れ木のつづく道を歩いていた人が、突然倒れてしまう。滑って転んだというようなことではなくて、急にワケもなく倒れてしまったのだ。しかも、音もなく……。「ばたり」は音ではなく、あっけなく倒れる様子を表現している。そして、この人は永遠に起き上がることもなくて、あたりはまたしんと静まりかえった冬木立だけの世界である。トポールの白と黒の絵を知っている人なら、たとえばあの絵が動いてこうなったのだと思うと、私の解釈にさして無理のないことを納得していただけるかもしれない。滑稽と無気味が共存しているユニークな発想だ。作者の詩的出発は川柳だから、それが冬木立でありうべき光景をとらえるのに効果的な力を発揮しているのだと見た。作者は、十八歳のときのバイクによる事故が原因で車椅子生活をつづけている。青森県在住。『木馬館』(1995)所収。(清水哲男)


January 1011998

 風邪声で亭主留守です分りませぬ

                           岡田史乃

かを至急に知りたくて、作者は知り合いの男性に電話をかけたのだろう。ところが、電話口に出てきたのは彼の奥さんで、応対はきわめてつっけんどんだった。どうやら、無愛想な相手は風邪を引いているらしい。途端に、作者も不愉快な気分になってしまった。この句から読み取れるのは、風邪声をダシにしての女性同士の一瞬の確執である。電話がかかってきた側は、風邪を引いているという理由におぶさって冷たい態度に出ているわけだが、かけた作者としてはたかが風邪ごときで大げさなことだと腹を立てている。お互いが彼をめぐって、ちょっとした鞘あての格好になってしまったのだ。たぶん、日頃から好感を持てないでいる同士なのだろう。電話はときに暴力にもなるが、ときには故なき暴力を受けているフリを、相手にアピールできるメディアでもある。作者は敏感に、そこに着目している。『浮いてこい』(1983)所収。(清水哲男)


January 1111998

 傍観す女手に鏡餅割るを

                           西東三鬼

開きは、一月十一日にする地方が多い。鏡餅は刃物で切ることを忌むことから、槌などで割る。ただし「割る」は忌み詞なので、「開く」としてきた。結婚披露宴などの目出度い席で「終る」と言わないで「お開きにする」と言うのと同じである。作者は、こうした祝い事にはさしたる関心もなく、また面倒でもあるので、女性(たち)がテキパキと事を運ぶ姿をぼんやりと見ているばかり……。そして、こういうことはなにも鏡開きの場合にかぎらない。作者としては何かの折りにはしばしば顰蹙をかってきたわけで、句にはいくばくかの自嘲の色合いも含まれている。最近は、鏡餅を食べずに捨ててしまう家庭が増えたと、新聞に出ていた。理由の第一は「固いので割るのが面倒」というものであり、いまでは三鬼みたいな人が多いようだ。もっとも、この記事のネタ元は、鏡餅を小さなプラスチック製の容器に収めて売りだしたメーカーのアンケート結果からだったけれど……。(清水哲男)


January 1211998

 冬の浜骸は鴉のみならず

                           森田 峠

涼たる冬の浜辺で、鴉(からす)が死んでいる。身体が黒いので、すぐにそれとわかるのである。しかしよく見ると、死んでいるのは鴉だけではなく、名も知らぬ魚や虫や小動物の骸(むくろ)も点々としている。眼前の情景はこれだけだが、この句はもっと大きなスケールを持つ。すなわち、太古からの冬の浜辺の数えきれないほどの死骸のイメージに読者を誘うのであり、また悠久の未来のそれをも連想させるからだ。このとき、おびただしい人間の骸も見えてくるし、みずからの屍体が、いつの日かここにあっても不思議ではないと思えてくるほどだ。このように、俳句という表現装置は、時空間系列を自在に行き来できる機能をそなえているのでもある。ところで、鴉は昔、神意を伝える霊鳥と言われていた。そんな視点から読んでみると、ますます句の世界は奥深くなる。『避暑散歩』(1973)所収。(清水哲男)


January 1311998

 湯豆腐やいのちのはてのうすあかり

                           久保田万太郎

逝する五週間前に、銀座百店会の忘年句会で書かれた句。したがって、辞世の気持ちが詠みこまれているとする解釈が多い。万太郎は妻にも子にも先立たれており、孤独な晩年であった。そういうことを知らなくても、この句には人生の寂寥感が漂っている。読者としても、年齢を重ねるにつれて、だんだん淋しさが色濃く伝わってくる句だ。読者の感覚のなかで、この句はじわじわと成長しつづけるのである。豆腐の白、湯気の白。その微妙な色合いの果てに、死後のうすあかりが見えてくる……。湯豆腐を前にすると、いつもこの句を思いだす。そのたびに、自分の年輪に思いがいたる。けだし「名句」というべきであろう。『流寓抄以後』(1963)所収。(清水哲男)


January 1411998

 疲れ脱ぐオーバー釦飛ばしけり

                           大串 章

い最近、私にもこういうことがあった。寒い夜を疲れて帰ってきて、コートを脱ぐ手がもどかしく、ついついやってしまったのである。もはや我が家に着いたのだから、そんなに焦ることもあるまいにと、後で苦笑した。けれども、はやく暖かい居間に入りたいという気持ちからすると、釦(ぼたん)一個が跳ね飛ぶなんぞは「メじゃない」ことも確かだ。このとき、切れ字の「けり」は「あーあ」と翻訳するのである。ところで、私たちは日本人だから、このようにオーバー・コートは玄関の上がり框で脱ぐ。客の場合には、玄関に入る前に脱ぐのが礼儀だ。そこでわいてきた疑問なのだが、靴のままで室内に入っていける国の人たちは、とくに自宅では、一般的にどこらへんでコートを脱ぐのだろうか。玄関を開ける前に脱ぐのが正解の気もするが、どなたかご教示いただければ幸甚である。『朝の舟』(1978)所収。(清水哲男)

[カリフォルニア在住の三浦勇氏よりメール]アメリカでは一般的に玄関というかドアを開けて家の中へ入った時点でコート等を脱ぎます。そこで迎えに出たホストがコートを預かり、近くのクロゼット内の衣紋掛けにかけます。パーティーなど多数の人が集まる場合で、クロゼットのスペースが足りない時は、寝室を解放して、コートはベッドの上に積み重ねます。


January 1511998

 芝居見に妻出してやる女正月

                           志摩芳次郎

正月(「おんなしょうがつ」、この句では「めしょうがつ」と読む)は、もはや死語に近い。昔の女性は松の内は多忙だったため、一月十五日から年始の回礼をはじめたので、この日を女正月といった。女たちは着飾って、芝居見物などにも出かけたようだ。句の亭主の側は「出してやる」という意識なので、鷹揚な感じもあるが、いささか不機嫌……。とにかく、女性が芝居を見にいくだけでも一騒動という時代があったのである。漱石の『吾輩は猫である』にも、女正月ではないが、こんな件りがある。「細君が御歳暮の代りに摂津大掾(「せっつだいじょう」・義太夫語り)を聞かしてくれろというから、連れて行ってやらん事もないが今日の語り物は何だと聞いたら、細君が新聞を参考して鰻谷だというのさ。鰻谷は嫌いだから今日はよそうとその日はやめにした。翌日になると細君がまた新聞を持って来て今日は堀川だからいいでしょうという。……」。明治の頃は、主婦が一人で義太夫を聞きにも行けなかったのだから、句の「出してやる」は、明治期よりも多少は進歩的な亭主のセリフだと言えなくもない。それはそれとして、いまどきこんな句を作ったとしたら、作者はタダではすまないだろう。(清水哲男)


January 1611998

 酒のめばいとゞ寝られぬ夜の雪

                           松尾芭蕉

書に「深川雪夜」とある。芭蕉四十三歳。芭蕉はサラリーマンではなかったから、大雪になっても、翌朝の通勤を心配することはない。だが、酒を飲んでも、飲むほどに寝る気にはなれないというのだ。降雪による興奮で、かえって頭が冴えてくるからである。「雪見酒」のような呑気な酒にはならない。つまり、この句には人間がいかにデリケートに自然と交感する存在であるかが、具体的に描かれている。台風などのときにも、こういうことはよく起きる。首都圏は、ひさかたぶりの大雪だ。自然の成り行きに逆らって出勤するサラリーマンたちのストレスは、いかばかりであろうか。かく言う私も、例外ではない。諸兄姉の安全を祈る。『勧進牒』(貞享三年・1687)所収。(清水哲男)


January 1711998

 風花や蹤き来てそれし一少女

                           角川源義

れていながら、風に乗って雪片が舞い降りてくることがある。これが、風花。小津安二郎の映画のタイトルにもなったが、美しい言葉だ。風花が舞うときは、かなり冷え込む。作者は、おそらく見通しのよい田舎道を歩いているのだろう。人通りもほとんどなく、少し以前から見知らぬ少女がひとり、あたかも自分につき従うかのように背後を歩いてくる。そのことで、実は作者はなんとなく暖かい心持ちになっているのだ。が、しばらくして別れ道にさしかかると、少女はついと別の道にそれてしまった。とたんに、作者の胸の内から暖かいものがすうっと消えていく……。がっかりしている。目をやると、別の道を行く少女の姿はまだ見えており、その小さな姿にしきりと風花が舞い降りているという情景だ。抒情的小品の味わい。(清水哲男)


January 1811998

 崩れゆくああ東京の雪だるま

                           八木忠栄

の冬は例外だけれど、東京は雪の少ない土地だ。たまに雪が降ると喜んで雪だるまをつくったりするが、作者のような雪国育ちからすると、これがとても貧弱なシロモノである。だるまが小さいのは仕方がないとして、あちこちに泥がついており、はじめから汚くも惨めなのだ。そんなせっかくの苦心の雪だるまも、あっという間に溶けてしまう。いや、崩れてしまう。まさに「ああ」としか言いようはあるまい。ところで、今度の大雪では、真白で立派な雪だるまがあちこちに立てられた。ポリバケツの帽子なんかをかぶって、いまだに崩れないでいる。できれは木炭の目や口がほしいところだが、さすがにそんな古典的な雪だるまは見かけなかった。先日、デュッセルドルフ近くの町から来日した女性と話していたら、ドイツでも昔は目や口に木炭を使ったそうである。ただし、鼻はニンジン。日本では、食べられる物を子供の遊びに使うことはなかったと思う。(清水哲男)


January 1911998

 膝掛と天眼鏡と広辞苑

                           京極杞陽

輩の読者は苦笑されるのではあるまいか。1975(昭和50)年の作だから、杞陽は六十代後半だった。私はまだなんとか五十代だけれど、膝掛はともかくとして天眼鏡は手放せないし、広辞苑も時々引いている。広辞苑とはかぎらないが、辞書の文字の小さいのにはマイってしまう。もっとマイるのは、緊急に辞書を引く必要が生じたときに、天眼鏡が見当たらないことだ。さっきまでここにあったのにと、焦れば焦るほどに発見が遅れてしまう。ときには稼働中のモニターに向けて天眼鏡を必要とするから、マイったではすまないこともある。そんなわけで、この句の切実さはよくわかる。同時に、活動性には無頓着になってしまった年齢の人々の、諦めの果ての呑気な境地みたいなものも……。誰も、自分の年齢以上の老いを体験することはできない。書きながら、思い出した。数年前に放送局のエレベーターで串田孫一さんにお会いして、思わずも「お元気そうですね」と声をかけたことがある。降りてからの串田さんのご挨拶は、こうだった。「君ねえ、七十を過ぎた人間が元気そうだと言われても、なんと返事をしていいのか、わからないじゃないか」。遺句集『さめぬなり』(1982)所収。(清水哲男)


January 2011998

 冬苺廉ければ一家にて賞す

                           成瀬櫻桃子

書に「一九五六年一月十八日、長女美菜子誕生」とある。敗戦後まだ十年少々の頃だから、赤ちゃん誕生のお祝いもささやかなものであった。廉価だとはあるけれど、この当時の冬苺(温室物ではない)だから、お祝い物という観点からすれば安かったという意味だろう。まことに微笑ましい情景である。が、人生には、普通に生きているつもりの一市民が夢想だにもしない現実が待ち構えていたりする。私が成瀬櫻桃子の句を読むのがつらくなったのは、次の句を知ってからのことであった。こういう句だ。「地に落ちぬででむし神を疑ひて」。前書には「長女美菜子ダウン氏症と診断さる」とある……。『風色』(1972)所収。(清水哲男)


January 2111998

 鶴を見る洟垂小僧馬車の上

                           野見山朱鳥

楚な鶴の姿と洟垂小僧(はなたれこぞう)の対比が面白い。洟垂小僧とはいっても、実際に洟を垂らしているのではなく、ここでは「悪ガキ」の意味だ。病気がちだった作者の句には暗い雰囲気のものが多いが、珍しく明るい句である。よほど体調がよかったのだろうか。とはいっても、ここにもやはり病者のまなざしがあり、馬車に揺られながら神妙な顔つきで鶴を見ている洟垂小僧の元気に、朱鳥は限りない羨望の念を覚えているのである。そしてこの馬車だが、シャーロック・ホームズが乗っていたような立派な代物ではない。木材や薪炭などを運搬するためのそれだ。私にも覚えがあるが、そんな馬車が通りかかると、すかさず我ら悪ガキたちは飛び乗って遊んだものである。悪路を行く馬車に乗ると、揺れの激しさに頭がジンジンした。『運命』(1962)所収。(清水哲男)


January 2211998

 たいくつな白樺佇てり雪の原

                           三輪初子

句の専門家ではないのに、たまに句集を送っていただくことがある。ありがたいことだ。三輪さんの本は昨日届いていて、書名を見た途端に「あっ」と思った。私が学生の頃に出した第一詩集のそれと同じだったからである。もちろん命名の由来は違うのだが、大いにこの見知らぬ作者に親近感がわいたことは事実だ。で、読みはじめて、再び「あっ」と思ったのが、この句に出会ったときだった。「たいくつな白樺」とあったからだ。前書によれば信州は戸隠での作品のようだが、信州は白樺の多いところである。群生している。白状すると、冬の信州には行ったことはないのだけれど、この情景の感じはよくわかる。夏でも、私にとっては「たいくつな白樺」なのだから、冬野ではもっと退屈に見えるだろう。銀世界に、ただ真っ直ぐな棒がぐさぐさと突き刺さっているに過ぎない……。白樺を退屈と感じる人が、私以外にもいることを知っただけでも、この句の価値は大なるものがある。白樺好きの人には「ごめんなさい」であるが。『喝采』(1997)所収。(清水哲男)


January 2311998

 夜咄は重慶爆撃寝るとする

                           鈴木六林男

慶は、中国四川省の四川盆地にある都市。日中戦争のとき、ここで国民政府が坑日戦を展開した。作者は懇親旅行の宿にでもあるのだろう。数人がくつろいだ気分でとりとめのない話をしているうちに、先輩が軍隊での手柄話をはじめた。もう何度も聞かされた話である。「またはじまったか」とうんざりすると同時に、作者は反戦思想の持ち主であるだけに、不快感も覚えている。こうした場面に遭遇することは、誰にでもよくあることで、飲み屋での話にもこの種のものが多くて閉口する。ということは、逆に自分が話をするときにも注意しなければならないわけで、自慢しているつもりはなくても、同席の誰かは不愉快になっているかもしれないのだ。とくに、自分の世代だけにしか通用しない内幕物めいた話は要注意。私の世代だと、若い人の前では「六十年安保」の話題は禁物だと思っている。それでも、たまに調子に乗ってしまうときがあって、後で「しまった」と反省することしきりだ……。(清水哲男)


January 2411998

 踏切の向かふにあれば冬の顔

                           中村菊一郎

切で遮断機が上がるのを待つ。こういうときは所在ないもので、なんとなく向こう側で待つ人たちの顔を眺めていたりする。みんな寒そうな顔をしている。ただそれだけのことであるが、作者のまなざしはなかなかに鋭い。待っている人たちは所在がないのだから、ほとんどの顔は無防備なわけで、寒さの中で素直に寒い表情になってしまっている。だから、みんな同じような表情をしている。遮断機が上がって歩きだせば、それぞれの人がそれぞれの表情を再び取り戻すだろう。さりげない日常の光景をこのようにつかまえるのは、意外に難しい。この句にはどこかとぼけた味もあって、天性とでもいうべき「俳句的センス」を感じさせられる。こんな視線で町を歩ける人は、きっと楽しいでしょうね。「俳句研究年鑑・1994年版」所載。(清水哲男)


January 2511998

 この雪に昨日はありし声音かな

                           前田普羅

訣の句。前書に「昭和十八年一月二十三日夕妻とき死す、二十四日朝」とある。ときに普羅五十九歳。死と雪といえば、なんといっても宮沢賢治の「永訣の朝」が有名だ。「けふのうちに/とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ/みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ……」。賢治は二十七歳だった。賢治の詩がパセティックなのに比して、普羅の句は静謐な心境を写している。別れた対象の違いもあるが、やはり年輪から来る覚悟の差であろう。「家にも盛りがある」と書いたのは現代詩人の以倉紘平だが、普羅の境涯は妻の死を契機にするようにして、雪崩れのように下降していった。二年後には富山空襲で一切を失い、老いの身に漂泊の日々がつづくことになる。もとより誰にも自分を待ち受けている運命はわからぬが、家人の「声音」や物音が聞こえる状態にあれば、それをもって、まずは幸福な時期と言うべきなのであろう。『春寒浅間山』(1946)所収。(清水哲男)


January 2611998

 天地無用のビルにて蟹が茹で上がる

                           夏石番矢

物の外箱などに書いてある「天地無用」という言葉は、苦手だ。どうも解せない。「上下をひっくり返さないように」という意味なのだが、つい反射的に逆の意味に取ってしまう。「無用」というのだから、その「必要がない」、つまり「どっちでもよい」と思ってしまうのだ。しかし、この場合は「落書き無用」などと同じように、「どっちでもよくはない」ということである。そりゃ、そうだ。ビルを逆様にされたら、たまったものじゃない。でも、ビルなんぞというものは荷物と同じで、逆様にしてもどうってことはない形状をしている。なべて人工の極は、引力を問題にしないような不遜な姿として現出してくるようだ。そんなビルの小料理屋で、いましも真っ赤にこれまた「天地無用」の姿の蟹が茹で上がった。何やってんだろうねえ、俺たちは、……という苦笑の図。苦笑の根元には、向けどころのない怒りもある。俳句で「蟹」は夏の季語だが、当サイトでは「蟹茹でる」という冬の季語を発明しておく。『猟常記』(1983)所収。(清水哲男)


January 2711998

 練炭の灰に雨降る昼屋台

                           北野平八

んとも侘びしい光景。昨夜の屋台営業の名残りである練炭(れんたん)の灰に、冷たい雨が降りかかっている。どうやら今夜まで、この雨はつづきそうだ。こんな侘びしい気分を的確に捉えた、なんとも素敵な北野平八の才気。「上手いなア」と、思わずもつぶやかされてしまう。練炭の灰は、見た目よりもよほど頑丈だから、ちょっとやそっとでは崩れたりはしない。その感覚が理解できないと、この句の味もわからないだろう。例によって余談になるが、私の職場である放送局には若い人が多い。つい最近、練炭のことを聞いてみたら、やはりわかった人は少なかった。タドンと間違える人はまだよいほうで、何に使うのか見当もつかない若者もいた。無理もない。もはや、都会の生活の場で練炭を使うことなどないからである。そういえば昨年の暮れ近く、新聞に北京で練炭を売る少年の写真が載っていた。まだ日常的に使っている国もあるというわけだ。もう一度、赤く燃える練炭ストーブに会ってみたい。『北野平八句集』(1987)所収。(清水哲男)


January 2811998

 鉢うへの松にかぶせる頭巾かな

                           住田素鏡

鏡は、江戸期信州長沼の人。一茶門。富裕な百姓で、一茶はしばしば厄介になっていたようだ。なんということもない句だが、大切な松の木に頭巾をかぶせてやるという優しさに、一茶につながる心根が感じられる。実はこの句は、同門であった松井松宇の還暦賀集『杖の竹』に寄せたもので、句の「松」には二重の意味、つまり挨拶が込められている。頭巾といえば、私の世代では命からがらの時のための「防空頭巾」だが、江戸期には防寒用として広く用いられ、お洒落感覚でかぶった人も多かったという。なかには覆面に近いものもあり、幕府はたびたび禁じている。ところで、前書の素鏡の頭巾論はこうだ。「頭上より背まで能覆ふべし。凩の強きも能ふせぐべし。頬は少し出れど、つらの皮の本千枚ばりならバ構ひなかるべし」と。この茶目っ気も一茶に通じている。栗生純夫編『一茶十哲句集』(1942)所収。(清水哲男)


January 2911998

 女番長よき妻となり軒氷柱

                           大木あまり

間にはよくある話だ。派手好みで男まさりで、その上に何事につけても反抗的ときている。将来ロクなものにはならないと、近所でも折り紙つきの娘が、結婚と同時にぴたりと大人しくなってしまった。噂では、人が変わったように「いい奥さん」になっているという。作者も、娘の過去は知っているので気がかりだった。で、ある日、たまたまその娘の嫁ぎ先の家の前を通りかかると、小さな軒先に氷柱(つらら)がさがっていた。もちろん何の変哲もない氷柱なのだが、その変哲の無さが娘の「よき妻」ぶりを象徴していると思われたのである。ホッとした気分の作者は、そこで微笑を浮かべたかもしれない。よくある話には違いないが、軒先のただの氷柱に「平凡であることの幸福」を見た作者の感受性は、さすがに柔らかく素晴らしいと思えた。『雲の塔』(1993)所収。(清水哲男)


January 3011998

 前略と激しく雪の降りはじむ

                           嵩 文彦

(だけ)文彦は、生まれも育ちも北海道で、現在は札幌在住の詩人。医師。この発想は、雪の多い地方の人ならではのものだろう。「雪は天からの手紙です」と言ったのは、たしかフランスの詩人だった。が、散文的な大雪はドカンと挨拶なしに「前略」で降ってくるというわけだ。それにしても「前略」とは言いえて妙。俳諧的なおかしみが生きている。自由詩では、なかなかこんな具合には書けない。伝統定型の強みだ。しかしこの魅力は、自由詩を書く人間にとっては、大いに「毒」である。最近、この「毒」にいかれた詩人がかなり増えてきた。もとより私もその一人だが、解毒剤はあるのだろうか。たぶん、安直なそれはないような気がする。もうこうなったら、「皿」までいっしょに食ってしまおうと覚悟を決めた。しからば、その先に何があるのか。それは、誰にもわからない。『実朝』(1998)所収。(清水哲男)


January 3111998

 映画出て火事のポスター見て立てり

                           高浜虚子

画館を出た後は、しばらくいま見てきたばかりの映画の余韻が残っている。と、街角に「火の用心」を呼びかけるポスターが貼ってあった。見ているうちに、作者の意識はだんだん現実に引き戻されていく。そんな状況の句だ。季語は「火事」である。この季語についての虚子自身の説明が、岩波文庫『俳句への道』に載っているので、引用しておく。「『火事』というものは季題ではあるが、他の季題に較べると季感が薄い、ということは言えますね。一体火事という季題は、我らがきめたものですし、火事はいつでもあるが、殊に冬に多いから、というので冬の季題にしたのですが、季感は従来のものよりも歴史的に薄いとはいえる。だからこれは季感のない句であるという風に解釈する人があるかも知れぬ。(中略)そういう人は季題趣味を嫌がっている人ではないですか。だが俳句は季題の文学である。……」。つまり、虚子は自分(我ら)で「火事」を冬の季題にし、そう決めたのだから、この句を無季句などとは呼ばせないと力み返っている。この自信満々が、虚子という文学者のパワーであった。(清水哲男)




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