旧臘、穴井太氏死去。追悼の意をこめて、八木忠栄氏が寄せてくれた十二月の句を。




1998ソスN1ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0611998

 十二月あのひと刺しに汽車で行く

                           穴井 太

二月は極月とも言い、文字通りおし詰った一年の終りである。もう、あとがない。その切羽詰った時期に刺しに行かなければならない「あのひと」とは誰か? もちろん親兄弟や友人ではあるまい。ここは男性にとっての恋人か愛人か、はたまた人妻か? 「ひと」は「女(ひと)」。ヤクザっぽい出入りではなく色恋沙汰ととるべきだろう。道ならぬそれだとすればいっそう芝居がかってくる。ひとを刺すという物騒な行動が、汽車という幾分おっとりしてのどかな手段によっているのは、いかにも滑稽味があり、俳味さえ感じられて嫌味のない句となった。ベンツでも自転車でもピンとこない。句集『土語』(1971)所収。「吉良常と名づけし鶏は孤独らし」という名句を持つ骨太の作者は、97年の12月29日、71歳で亡くなった。(八木忠栄)


January 0511998

 重役陣初笑ひして散ることよ

                           榑沼けい一

事始めのオフィスでの一景。新年の挨拶が型通りに終り、重役陣がお互いに笑顔で散っていく。その笑顔もまた例年のように型通りなのであって、どうやら作者は彼らに好意を持てないでいるようだ。「初笑」の句というと、たいていは楽しい内容なのだが、この句は例外である。とくに今年のような不況の年に読むと、切なくなってしまう。今年は経営者の手腕がより問われる一方で、働く人たちの意識の改革も大いに迫られることになりそうだ。戦後の資本家は労働組合を骨抜きにすることにはなんとか成功したけれど、同時にみずからの骨もいっしょに抜いてしまった。例の不倫心中みたいなものである。これぞ、労働史上「初のお笑い」なのである。来年こそは楽しい「初笑」の句が掲載できますように……。(清水哲男)


January 0411998

 四日はや過ぎたりただの冬の雨

                           中山純子

語は「四日」。一月四日のこと。ちなみに「元日」からはじまって「二日」三日」「四日」「五日」「七日」はすべて新年の季語である。「六日」はない。それほどに昔の正月の一週間は、毎日の変化があり、区別をすることができたのだろうし、その必要もあったと思われる。いまでも、普段の年なら「四日」は仕事始めだから、気分は三が日とは大違いだ。その意味では「四日」という季語は生きている。作者もそのことを言っており、仕事始めの嫌な雨に正月気分をすぱりと断ち切っているのだ。このように現実にすっと入っていけるのは、どうやら女性に特有の能力らしい。そこへいくと、男はだらしがなくて、アメが降ろうがヤリが降ろうが、なかなか正月気分から抜けきれないで、いつまでもグズグズしている。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます