江戸風に当ページも松を納めました。今日は七草。されど七草粥を食べたことなし。




1998ソスN1ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0711998

 掃きならし門松とりし跡と見ゆ

                           亀井絲游

松を取った跡とおぼしきあたりの土が、きれいに掃き清められている。その家の主人の人柄が思われるのと同時に、また長丁場となる今年への作者の緊張感も伝わってくる。正月の行事は、地方によって日取りが異なるので厄介だ。門松を取るのは、関東では六日、関西では十四日とされてきた。「仙台の四日門松」といって、江戸期の仙台では松の内は四日までだった。が、実際はどうなのだろうか。商店街などでは、もっと遅くなってから取るところもありそうだ。不用になった門松は、小正月に「どんどの火」で焼いたものだが、いまの都会では焚火もままならない。それでも、私の住む地域では、校庭などを使ってどんど焼きをする町内会もある。ただし、ダイオキシン警戒から、プラスチック製の飾り物は燃さないようにと呼びかけている。(清水哲男)


January 0611998

 十二月あのひと刺しに汽車で行く

                           穴井 太

二月は極月とも言い、文字通りおし詰った一年の終りである。もう、あとがない。その切羽詰った時期に刺しに行かなければならない「あのひと」とは誰か? もちろん親兄弟や友人ではあるまい。ここは男性にとっての恋人か愛人か、はたまた人妻か? 「ひと」は「女(ひと)」。ヤクザっぽい出入りではなく色恋沙汰ととるべきだろう。道ならぬそれだとすればいっそう芝居がかってくる。ひとを刺すという物騒な行動が、汽車という幾分おっとりしてのどかな手段によっているのは、いかにも滑稽味があり、俳味さえ感じられて嫌味のない句となった。ベンツでも自転車でもピンとこない。句集『土語』(1971)所収。「吉良常と名づけし鶏は孤独らし」という名句を持つ骨太の作者は、97年の12月29日、71歳で亡くなった。(八木忠栄)


January 0511998

 重役陣初笑ひして散ることよ

                           榑沼けい一

事始めのオフィスでの一景。新年の挨拶が型通りに終り、重役陣がお互いに笑顔で散っていく。その笑顔もまた例年のように型通りなのであって、どうやら作者は彼らに好意を持てないでいるようだ。「初笑」の句というと、たいていは楽しい内容なのだが、この句は例外である。とくに今年のような不況の年に読むと、切なくなってしまう。今年は経営者の手腕がより問われる一方で、働く人たちの意識の改革も大いに迫られることになりそうだ。戦後の資本家は労働組合を骨抜きにすることにはなんとか成功したけれど、同時にみずからの骨もいっしょに抜いてしまった。例の不倫心中みたいなものである。これぞ、労働史上「初のお笑い」なのである。来年こそは楽しい「初笑」の句が掲載できますように……。(清水哲男)




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