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January 0711998

 掃きならし門松とりし跡と見ゆ

                           亀井絲游

松を取った跡とおぼしきあたりの土が、きれいに掃き清められている。その家の主人の人柄が思われるのと同時に、また長丁場となる今年への作者の緊張感も伝わってくる。正月の行事は、地方によって日取りが異なるので厄介だ。門松を取るのは、関東では六日、関西では十四日とされてきた。「仙台の四日門松」といって、江戸期の仙台では松の内は四日までだった。が、実際はどうなのだろうか。商店街などでは、もっと遅くなってから取るところもありそうだ。不用になった門松は、小正月に「どんどの火」で焼いたものだが、いまの都会では焚火もままならない。それでも、私の住む地域では、校庭などを使ってどんど焼きをする町内会もある。ただし、ダイオキシン警戒から、プラスチック製の飾り物は燃さないようにと呼びかけている。(清水哲男)


March 2131999

 なほ煙る炭窯一つ初ざくら

                           亀井絲游

桜(「初花」とも)は、その年にはじめて咲いた桜のことを言うが、厳密な意味はない。最初に目にとまった桜花程度の意味が本義だ。植物学的な開花順序も関係ないので、桜の種類はなんであっても構わない。ただ、特筆すべきは「桜」や「花」などと同格に、歳時記では「初桜」にも季語の主項目が与えられているというあたりで、このことは昔から、如何に桜の開花が多くの人々に待たれていたかを証明している。現代でも、気象庁がしゃかりきになって開花予想を立てるのは、ご承知のとおり。この句の場合は「初桜」本義のように、いつ咲いたのかは知らねども、なにげなしに山を見上げたら、炭焼窯の煙一筋のかたわらに咲いていたという情景である。炭焼きは主として冬場の仕事だから、春になっても煙をあげている窯はかなり珍しい。その珍しい煙をいぶかしく眺めた作者の目の流れに、すうっと桜の花が入ってきた。ああ、春が来たんだなあ……という叙情。こんな光景に出くわしたら、私はカメラを向ける。が、カメラなど無関係な生活者の目でないと、こういう句は作れまい。同じ初桜でもたとえば金子潮に「初花の雨風窓打つ決算期」という苦い句があり、サラリーマン諸氏には、この句のほうが身近だろう。でも、上掲の句のほうを好ましいと思うだろう。(清水哲男)


November 23111999

 ひとり燃ゆ田の火勤労感謝の日

                           亀井絲游

労感謝の日の定義は「勤労をたっとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう日」(1948年制定「国民の祝日に関する法律」)というものだ。どうも、しっくり来ない。元来が「新嘗祭(にいなめさい)」であり、新穀に感謝する日であったのが、皇室行事ゆえに、戦後そこらへんを曖昧化した祝日だからだ。「勤労感謝」という言葉から、この法的定義が浮かび上がるわけもなく、日本語としても変なのである。したがって、私たちは半世紀もの間、なんだかよくわからない顔をしながら、この日を休んできた。俳人たちも困惑してきたようで、これぞという句にはお目にかかったことがない。「窓に富士得たる勤労感謝の日」(山下滋久)と詠まれても、作者には失礼ながら、「ウッソォ」と言いたくなる。たまたま快晴だっただけのことで、この日をたとえば元日のように、いかにも晴朗な気分で迎えたというわけではないだろう。その点、掲句には曖昧な気持ちが曖昧のままに表現されていて、面白いと思った。冬を迎える前に、田に散らばったものを片づけ燃やしている。夕暮れになって、火の赤さがちろちろと目に写る。そういえば今日は「勤労感謝の日」だけれど、田で働く自分にとっては関係がないな。何かへの皮肉ではなく、祝日とは無縁の自分を淡々と詠んでいるところが、凡百の「勤労感謝の日」の句のなかでは傑出している。(清水哲男)




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