東京(的には)大雪。バスは見切り発車。タクシーはゼロ。自宅まで歩き転倒一回。




1998ソスN1ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0911998

 冬木立ばたりと人が倒れたり

                           柴崎昭雄

景かもしれないが、私は想像した光景と読んだ。そのほうが面白い。枯れ木のつづく道を歩いていた人が、突然倒れてしまう。滑って転んだというようなことではなくて、急にワケもなく倒れてしまったのだ。しかも、音もなく……。「ばたり」は音ではなく、あっけなく倒れる様子を表現している。そして、この人は永遠に起き上がることもなくて、あたりはまたしんと静まりかえった冬木立だけの世界である。トポールの白と黒の絵を知っている人なら、たとえばあの絵が動いてこうなったのだと思うと、私の解釈にさして無理のないことを納得していただけるかもしれない。滑稽と無気味が共存しているユニークな発想だ。作者の詩的出発は川柳だから、それが冬木立でありうべき光景をとらえるのに効果的な力を発揮しているのだと見た。作者は、十八歳のときのバイクによる事故が原因で車椅子生活をつづけている。青森県在住。『木馬館』(1995)所収。(清水哲男)


January 0811998

 なんとなく松過ぎ福神漬甘き

                           岡本 眸

せち料理や餅に飽きた頃のカレーライスは、新鮮な味がする。添えられた福神漬に、作者はこんなに甘い味だったのかと、感じ入った。普段、福神漬をことさらに味わって食べることはなかなかないけれど、この場合、作者はたしかに味わっているのである。そこで、なんとなく松の過ぎていった感じが、読者にもなんとなくわかるような気がしてきて微笑ましい。福神漬はむろん七福神を連想させる効果もあるわけで、作者に残るいささかの正月気分とも呼応している。それにしても、ありがたい七福神を漬物にしてしまったという「福神漬」の命名は大胆不敵だ。ちなみに福神漬の中身は、ダイコン、ナス、レンコン、ナタマメ、ウリ、シイタケ、シソの七種類。明治十八年(1885)創製の東京名産である。『冬』(1976)所収。(清水哲男)


January 0711998

 掃きならし門松とりし跡と見ゆ

                           亀井絲游

松を取った跡とおぼしきあたりの土が、きれいに掃き清められている。その家の主人の人柄が思われるのと同時に、また長丁場となる今年への作者の緊張感も伝わってくる。正月の行事は、地方によって日取りが異なるので厄介だ。門松を取るのは、関東では六日、関西では十四日とされてきた。「仙台の四日門松」といって、江戸期の仙台では松の内は四日までだった。が、実際はどうなのだろうか。商店街などでは、もっと遅くなってから取るところもありそうだ。不用になった門松は、小正月に「どんどの火」で焼いたものだが、いまの都会では焚火もままならない。それでも、私の住む地域では、校庭などを使ってどんど焼きをする町内会もある。ただし、ダイオキシン警戒から、プラスチック製の飾り物は燃さないようにと呼びかけている。(清水哲男)




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