January 151998
芝居見に妻出してやる女正月
志摩芳次郎
女正月(「おんなしょうがつ」、この句では「めしょうがつ」と読む)は、もはや死語に近い。昔の女性は松の内は多忙だったため、一月十五日から年始の回礼をはじめたので、この日を女正月といった。女たちは着飾って、芝居見物などにも出かけたようだ。句の亭主の側は「出してやる」という意識なので、鷹揚な感じもあるが、いささか不機嫌……。とにかく、女性が芝居を見にいくだけでも一騒動という時代があったのである。漱石の『吾輩は猫である』にも、女正月ではないが、こんな件りがある。「細君が御歳暮の代りに摂津大掾(「せっつだいじょう」・義太夫語り)を聞かしてくれろというから、連れて行ってやらん事もないが今日の語り物は何だと聞いたら、細君が新聞を参考して鰻谷だというのさ。鰻谷は嫌いだから今日はよそうとその日はやめにした。翌日になると細君がまた新聞を持って来て今日は堀川だからいいでしょうという。……」。明治の頃は、主婦が一人で義太夫を聞きにも行けなかったのだから、句の「出してやる」は、明治期よりも多少は進歩的な亭主のセリフだと言えなくもない。それはそれとして、いまどきこんな句を作ったとしたら、作者はタダではすまないだろう。(清水哲男)
January 151999
女正月一升あけて泣きにけり
高村遊子
元日からの大正月を男正月とするのに対し、十五日を中心とする小正月を女正月という。二十日とする地方もあるようだ。いずれにしても、正月の接客や家事の多忙から解放された女たちをねぎらう意味で、男どもが発案したもう一つの正月である。女だけで集まり昼夜を通して酒盛りをする地方もあると、モノの本に出ていた。この句は、そんな酒宴の果てを詠んだものだろう。ほろ酔い気分で笑いさざめくうちに、だんだんと座は愚痴の連発大会と化し、ついには大泣きする女が出たところでお開きとなる。毎年のことだと作者は苦笑しつつも、片頬には微笑も浮かんでいる。男にしろ女にしろ、特別な日の酒の上での失敗は、このように許されてきた。今日、成人式の後での飲み会でひっくり返るお嬢さん方も、後を絶たない。ま、ほどほどに願いましょう。ところで、こんな具合に「女正月」を祝う風習は、もうとっくのとうに廃れてしまったと思っていたが、最近四国在住の女性の読者から「女正月が楽しみ」というメールをいただいた。となれば、廃れてしまったのは東京など一部の地域であって、全国的にはまだ健在ということなのだろうか。女正月の解説などは不要であったかもしれない。(清水哲男)
January 152005
日の中に娘の町や初電車
佐分靖子
季語は「初電車」で新年、「乗初(のりぞめ)」に分類。昔は新年に初めて馬やかごに乗ることで、交通機関が発達していなかったころには、いかにも「初」という新鮮な感じが持てたのだろう。現代人はいつ乗ったのが「初」だったかしらんと、それほどに電車などは日常の生活に溶け込んでしまっている。が、私もそうだけれど、作者も普段はあまり電車に乗らない人なのではないだろうか。だから、くっきりと「初」の意識が持てたのだと思う。目的の駅までの途中で「娘の(暮らす)町」を通りかかり、その「町」に燦々と「日」が注いでいるのを見て、なんとなく我が娘の元気で幸福な姿が想われたという親心。いかにも「初電車」にふさわしい明るい句だ。作者のこれから訪ねて行く先にも、何か楽しいことが待っているのだろう。そういえば、今日15日は「女正月」だ。その昔、正月に忙しかった女性がこの日は家事から解放され、ゆっくりと骨休めができる日だった。映画や芝居見物に出かけたり、年始の挨拶に回ったり、地方によっては女だけで酒盛りをする風習があったと聞く。掲句は現代の作だから、もはや女正月でもなかろうが、俳句の文脈のなかで読んでいると、ふっと今日という日にぴったりの気もしてくる。では、女だけの酒盛りの果ての一句を。「女正月一升あけて泣きにけり」(高村遊子)。いやはや、お賑やかなことで……。『若狭ぐじ』(2004)所収。(清水哲男)
January 152007
女正月帰路をいそぎていそがずに
柴田白葉女
季語は「女正月(おんなしょうがつ・めしょうがつ)」。一月十五日を言うが、まだこんな風習の残っている地方があるだろうか。昔は一日からの正月を大正月と呼び、男の正月とするのに対して、十五日を中心とする小正月を女の正月と呼んでいた。正月も忙しい女たちが、この日ばかりは家事から解放され、年始回りをしたり芝居見物に出かけたり、なかには女だけで酒盛りをする地方もあったようだ。子供のころ暮した田舎では、小正月を祝う風習はあったとおぼろげに記憶しているが、女正月のほうはよく覚えていない。母にまつわる記憶をたどってみても、松の内が過ぎてから出かけることはなかったような……。我が家に限らず、昔の主婦はめったに外出しないものだった。出かけるとすれば保護者会か診療所くらいのもので、遊びに出るなどは夢のまた夢。田舎時代の母は、おそらく映画などは一度も見たことがなかったはずだ。どこかから借りてきた映画雑誌を読んでいた母の姿を、いま思い出すと、切なく哀しくなってくる。そんな生活のなかで、作者の住む地方には女正月があり、大いに羽をのばした後の「帰路」の句だ。いざ家路につくとなると、日頃の習慣から足早になってしまう。みんなちゃんとご飯を食べただろうか、風呂はわかせたろうか、誰か怪我でもしてやしないか等々、家のことが気になって仕方がない。つい「いそぎて」しまうわけだが、しかし一方では、今日はそんなに急ぐ必要はない日であることが頭に浮かび、「いそがずに」帰ろうとは思うものの、すぐにまた早足で歩いている自分に気がついて苦笑している。こうした女のいじらしさがわかる人の大半は、もう五十代を越えているだろう。世の中、すっかり変わってしまった。『新歳時記・新年』(1990・河出文庫)所収。(清水哲男)
January 152009
女正月眉間に鳥の影落つる
飯島晴子
長らく今日の日を「成人の日」として馴染んでいたが、それも昔のこと、ハッピーマンデーの導入で「成人の日」は第2月曜日と相成り、休日でない15日は未だに居心地が悪い。もっとむかしは小正月を女正月と呼び祝っていたようだが、私にとっては死語に近い。歳時記を読むと「十四日の夜や女の年取りと呼んで、男が女の食事を全部作ることもあり、また十五日の昼夜に女だけ酒盛りをする地方もある」と書いてある。(平井照敏編「新歳時記」より)要するに正月に忙しかった女が家族や男の世話をせずに、大手を振って出かけられる日。というわけだ。掲句をみると、眉間に落ちる鳥の影は眉をひそめた女の顔も連想させる。家事を置いて出かけることにどこか後ろ暗さが伴うのだろうか。今はわざわざ旦那の許可を得なくとも奥方達はさっさと何処へでも出かけてゆく。昭和30年生まれの私にしてこの馴染みのなさであるから、女と男の性差にもとづいた季語などはますます遠くなることだろう。作者にとって思い入れのある季語なのか、いくつか作例があるが、いずれもどこか翳りを宿しているように思う。「大根葉の青さゆゆしき女正月」「石鹸の荒き日影や女正月」「俳句研究別冊」『飯島晴子読本』(2001)所収。(三宅やよい)
April 192011
うららかやカレーを積んで宇宙船
浅見 百
明治4年に西洋料理としてお目見えしたカレーは、なにより白米に合うことが日本への定着に拍車をかけた。俳句にも〈新幹線待つ春愁のカツカレー〉吉田汀史、〈カレー喰ふ夏の眼をみひらきつ〉涌井紀夫 、〈秋風やカレー一鍋すぐに空〉辻桃子 、〈女正月印度カレーを欲しけり〉小島千架子、と四季を問わず登場する。そして今、国際宇宙ステーションにまで持ち込まれるという。JAXA(宇宙航空研究開発機構)で販売されている「宇宙食カレー」にはビーフ、ポーク、チキンと3種揃っているという。日本人の好物を調べた結果を見ると、どの世代にもラーメンとカレーが上位を占める。どちらも独自の進化をとげて日本の日常に溶け込んできた。あるときは家族に囲まれ、あるいはひとり夜中に、あらゆる人生の場面で顔を出してきた普段の食べ物が、ハレの日に食べてきた寿司や鰻を上回る票数を得て、好物としてあげられているのだ。成層圏を超えていく宇宙船に積まれているのが、普段の食事であるカレーだからこそ、思わず笑顔がこぼれるのである。『それからの私』(2011)所収。(土肥あき子)
January 132013
立膝の妻の爪切る女正月
薗田よしみ
女正月は、小正月ともいい、女たちが、家事の一切から解放される習わしがありました。かつて、ガスコンロも水道の蛇口もなかった時代の正月は、来客をもてなすこともたいへんで、松飾を取り、鏡開きを終えた十五日頃になって、女たちはようやくひと息つけたわけです。掲句にはその気分があります。一読して、谷崎潤一郎のようなフェミニストの作かと思いましたが、作者は女性と知り、これを女性から男性たちへの一提言として読んでみますと、私なんぞはせめて 年に一度、妻の足指の爪を爪切りで切ってあげるべきだなあと、素直に賛同致します。妻が立膝をついて上方にすわり、夫はそのお御足を下方でお手入れするこの逆転の構図がおかしく、同時に、春琴と佐助の関係のような、ぞくりとするものもあります。ところで、日本には三種類の暦があります。現在使っている太陽暦(新暦)。明治六年以前まで使っていた太陰暦(旧暦)。そして、太陰暦が中国から入って来る前にあった太古の暦です。女正月は、この太古の暦の正月で、年の始まりも月の始まりの一日も、満月から始まっていました。無文字社会の古代カレンダーは、月の満ち欠けでした。「現代俳句歳時記・新年」(2004・学研)所載。(小笠原高志)
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