当今焼鳥屋事情。「居座る客が多くなっちゃって回転悪くなったなア」。ごめん。




1998ソスN1ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2311998

 夜咄は重慶爆撃寝るとする

                           鈴木六林男

慶は、中国四川省の四川盆地にある都市。日中戦争のとき、ここで国民政府が坑日戦を展開した。作者は懇親旅行の宿にでもあるのだろう。数人がくつろいだ気分でとりとめのない話をしているうちに、先輩が軍隊での手柄話をはじめた。もう何度も聞かされた話である。「またはじまったか」とうんざりすると同時に、作者は反戦思想の持ち主であるだけに、不快感も覚えている。こうした場面に遭遇することは、誰にでもよくあることで、飲み屋での話にもこの種のものが多くて閉口する。ということは、逆に自分が話をするときにも注意しなければならないわけで、自慢しているつもりはなくても、同席の誰かは不愉快になっているかもしれないのだ。とくに、自分の世代だけにしか通用しない内幕物めいた話は要注意。私の世代だと、若い人の前では「六十年安保」の話題は禁物だと思っている。それでも、たまに調子に乗ってしまうときがあって、後で「しまった」と反省することしきりだ……。(清水哲男)


January 2211998

 たいくつな白樺佇てり雪の原

                           三輪初子

句の専門家ではないのに、たまに句集を送っていただくことがある。ありがたいことだ。三輪さんの本は昨日届いていて、書名を見た途端に「あっ」と思った。私が学生の頃に出した第一詩集のそれと同じだったからである。もちろん命名の由来は違うのだが、大いにこの見知らぬ作者に親近感がわいたことは事実だ。で、読みはじめて、再び「あっ」と思ったのが、この句に出会ったときだった。「たいくつな白樺」とあったからだ。前書によれば信州は戸隠での作品のようだが、信州は白樺の多いところである。群生している。白状すると、冬の信州には行ったことはないのだけれど、この情景の感じはよくわかる。夏でも、私にとっては「たいくつな白樺」なのだから、冬野ではもっと退屈に見えるだろう。銀世界に、ただ真っ直ぐな棒がぐさぐさと突き刺さっているに過ぎない……。白樺を退屈と感じる人が、私以外にもいることを知っただけでも、この句の価値は大なるものがある。白樺好きの人には「ごめんなさい」であるが。『喝采』(1997)所収。(清水哲男)


January 2111998

 鶴を見る洟垂小僧馬車の上

                           野見山朱鳥

楚な鶴の姿と洟垂小僧(はなたれこぞう)の対比が面白い。洟垂小僧とはいっても、実際に洟を垂らしているのではなく、ここでは「悪ガキ」の意味だ。病気がちだった作者の句には暗い雰囲気のものが多いが、珍しく明るい句である。よほど体調がよかったのだろうか。とはいっても、ここにもやはり病者のまなざしがあり、馬車に揺られながら神妙な顔つきで鶴を見ている洟垂小僧の元気に、朱鳥は限りない羨望の念を覚えているのである。そしてこの馬車だが、シャーロック・ホームズが乗っていたような立派な代物ではない。木材や薪炭などを運搬するためのそれだ。私にも覚えがあるが、そんな馬車が通りかかると、すかさず我ら悪ガキたちは飛び乗って遊んだものである。悪路を行く馬車に乗ると、揺れの激しさに頭がジンジンした。『運命』(1962)所収。(清水哲男)




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