中学生事件に対する発言のワン・パターンぶり。そのパターンこそが息苦しいのだ。




1998ソスN2ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0421998

 部屋に吊した襁褓に灯つき今日立春

                           飴山 實

褓は「きょうほう」と読む。元来は赤子を包む「かいまき」のことを言った。転じて、おむつ(おしめ)。この場合は「おむつ」だろう。いまでは貸しおむつや使い捨てのおむつが普及していて、部屋でたくさんのおむつを干す光景を見かけなくなった。が、昔はこの通りで、部屋中におむつが吊るしてあった。夕暮れになって、その部屋に灯がともされる。いつもと変わらぬ様子ではあるが、今日が立春だと思うと、作者はうっとおしさよりも心にも灯を感じている。言葉だけでも「春」は心を明るくしてくれる。「きょうほう」と「きょう」の語呂合わせも面白い。もう二十年以上も前、ギタリストの荘村清志さんのお宅にうかがったことがある。通された部屋の壁には数本のギター、頭の上にはそれ以上のおむつが吊るしてあった。なんだか、とても「いいな」と思ったことを覚えている。『おりいぶ』(1959)所収。(清水哲男)


February 0321998

 豆をうつ声のうちなる笑ひかな

                           宝井其角

撒きは、奈良時代から行われていた厄払いの行事だ。もともとは中国周時代の宮廷の風習であったという。まあ「鬼は外、福は内」などムシのよい話で、宮中などではともかく、庶民には「笑ひ」をふくむ一種の娯楽性の強い行事として行われてきたようだ。戸板康二が書いている。「私の祖父は仙台の人だが、節分の豆撒きに『鬼は外福は内』と言ったら、そばで『ごもっとも』といえと孫の私に命じた。いわれた通りにしていたが、あとで考えると、私はそういって逃げだす鬼の役だったのである」。まさに笑いをふくんでいる。ごもっとも、である。江戸の其角もまた、この光景には「ごもっとも」と言うにちがいない。撒いたあとで、年の数だけ豆を食べる風習もある。私のような年齢になってくると、こればかりは「ごもっとも」と言うわけにはいかない。豆に歯が立たないからだ。いや、もはやガリリと歯を立てる勇気に欠けているからである。うろ覚えで申し訳ないが、たしか小寺正三にこんな句があった。「もうあかん追儺の豆に歯がたたず」。ごもっとも。(清水哲男)


February 0221998

 炬燵出て歩いてゆけば嵐山

                           波多野爽波

波は京都に暮らしていたから、そのまんまの句だ。「写生の世界は自由闊達の世界である」と言っていただけあって、闊達の極地ここにありという句境である。名勝嵐山には気の毒だが、ここで嵐山は炬燵並みに扱われている。そういえば、嵐山の姿は炬燵に似ていなくもないなと、この句を読んだ途端に思った。京都という観光地に六年ほど住んだ経験からすれば、嵐山なんぞは陰気で凡なる山という印象である。とくに冬場は人出もないし、嵐山は素顔をさらしてふてくされているようにしか見えない。観光地で観光業とは無縁に暮らしていると、名勝も単なる平凡な風景の一齣でしかないのだ。喧伝されている美しさや名称など、生活の場では意識の外にある。その一齣をとらえて、作者は「ほお、これが嵐山か」と、あらためて言ってはみたものの、それ以上には何も言う気になっていない。闊達とは、深く追及しないでもよいという決意の世界でもある。そこが面白い。『骰子』(1986)所収。(清水哲男)




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