とうとう冬季五輪。「ニッボン頑張れ」のマスコミ大合唱に辟易する日が続くのか。




1998ソスN2ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0721998

 二月商戦眉目秀麗のピエロ得て

                           ねじめ正也

から「二八(にっぱち)」といって、二月と八月は商売人の厄月。物が売れない月である。そこで商店街では、いろいろと工夫をこらして客寄せをする。作者のところでは、にぎやかしにピエロを雇うことにしたのだが、やってきたその人の素顔は眉目秀麗の美男子だったので、みなびっくりした。と同時に、美男子のピエロに一抹の不安も感じている。なにせピエロといえば、親しみやすい愛敬が売り物なのだから、こんな美男子に本当にピエロがつとまるのか、という不安である。しかし、しかるべきルートを通しての話なので、商店街としてはもはや前進あるのみ。やるっきゃない、のである。というわけで、半信半疑のままに「いい男のピエロ」に「二月商戦」の宣伝を託しての複雑な心境を詠んだ句と見た。このとき、作者は東京は杉並区高円寺で乾物屋を経営していた。長男である作家・ねじめ正一の小説『高円寺純情商店街』に、町の雰囲気や人々の模様が活写されている。なお、句の作者であるねじめ正也氏は、この二月二日に七十九歳で他界された。合掌。『蝿取リボン』(1991)所収。(清水哲男)


February 0621998

 倖かひとり鳥貝の寿司食ふは

                           小池一覚

は「しあわせ」。「寿司」は夏の季語だが、この場合は「鳥貝」で春。鳥貝とはまた奇妙な名前だ。味が鶏肉に似ているからだとか、軟体部が小鳥の形に似ているからだとか、命名の根拠には諸説がある。冬から春にかけてが旬だ。作者の好物なのだろう。多少懐に余裕があったので、一人で寿司を食べている。ひさしぶりに幸せな気分だ。食べているうちに、しかし、だんだんとさびしくなってくる。なんだか、家族や職場の同僚をさしおいて、自分一人だけがいい気になっているような気がしてきたのである。軽い自己嫌悪の気分に見舞われている。つまり、こっそりと贅沢をしている自分が嫌になりつつあるというところだろう。先日ラジオで、退役した外交官が「国連の明石さんが遊びにみえて、寿司でもつまもうかということになって……」と、気楽に話していた。この話を聞くまで、私は「寿司をつまむ」という表現をすっかり忘れてしまっていた。「つまむ」には元来の意味である単なる食べ方もあるが、こう寿司が高価になってくると、金持ちの余裕みたいなニュアンスもくっついてくる。私など、「つまみに行こうか」などと言ったことはない。ところが、今でも「つまむ」と日常的に気楽に言える人が、存在するのである。ただし、寿司をちょっと「つまめる」身分の人には、この句の味はわからないだろう。(清水哲男)


February 0521998

 うすらひをゆつくり跨ぎ和菓子店

                           丹沢亜郎

菓子店の前の道に薄氷(うすらひ)がはっている。それをゆっくりと跨いで店に入る。この句の命は「ゆつくり」にある。「ゆつくり」が和菓子店の存在を際立たせている。不思議なもので、洋菓子店には急ぎ足で入っても違和感を感じないが、和菓子店には「ゆつくり」入りたいと思う。句のように薄氷がはっていれば、ばりりと踏んづけたりもしないのである。和菓子独特のつつましやかな雰囲気が、こちらの心に伝染するからだろうか。つつましい人に会うと、こちらまでそんな気分になるように……。三鷹や武蔵野には、けっこう和菓子店が多い。通りすがりにのぞくと、赤や黄の色彩が目立ちはじめた。春である。『盲人シネマ』(1997)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます